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柴田淳
Single Collection
柴田淳(しばた じゅん、1976年11月19日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。東京都世田谷区出身。血液型A型。身長155.5cm。所属レーベルはビクターエンタテインメント、所属事務所はビクターミュージックアーツ。多摩大学経営情報学部卒。愛称はしばじゅん。

人物

2001年にデビュー。デビュー時のキャッチコピーは「隣のしばじゅん」。積極的なインターネット活動から「ブログの歌姫」、昼ドラ主題歌を複数回手掛けたことから「昼ドラの歌姫」、失恋を綴った曲を多数発表していることから「失恋ソングの女王」等とも呼ばれる。音楽活動以外にも、ラジオパーソナリティ・女優・エッセイスト・ナレーターなど様々な分野で活躍。サンジェルマンの「マヨナンロール親善大使」も務めている。

家族構成は両親と姉の4人家族。父親は東京都出身、母親は北海道中標津町出身であることから、自らを「道産子ハーフ」とも称している。実家では「カズ」と「ビビアン」という名前の2匹のダルメシアンを飼っており、それをモチーフとした「ビビカズ」という犬のキャラクターも制作している。デビュー前には看護師助手のアルバイトをしており、もし音楽活動をしていなければ救急救命士になっていたであろうと語っている。利き手は左手。但し、文字を書く時だけは右に矯正している。

著名人の交友関係も広い。芸能関係では俳優の小栗旬や生田斗真、女優の遠藤久美子、音楽関係では歌手の中島美嘉や石嶺聡子、シンガーソングライターの池田綾子、コブクロの小渕健太郎等とも親交がある。その他、音楽評論家の富澤一誠とは、デビュー前にNACK5『MUSIC CHALLENGER』に出演したことをきっかけに親交があり、TBSアナウンサーの土井敏之とは、自身が19歳の頃からの付き合いであることを公言している。また、バカボン鬼塚とは高校時代からラジオ番組のリスナーであったことをきっかけに交流があり、女子サッカー選手の原歩は、多摩大学時代の1年後輩であった。

好きなアーティストとしては、最も影響を受けたSing Like Talkingや塩谷哲の他に、スガシカオ、山下達郎等を挙げている。スガシカオに関しては、自身の目標を「スガシカオの女版になること」と語っており、また山下達郎に関しては、「シンガーソングライターの神様」と呼び尊敬している。洋楽にも影響を受けており、好きな洋楽アーティストとしてメタリカ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、モトリー・クルー、バックストリート・ボーイズ等を挙げている。

好きな本の著者には、野沢尚、井上雄彦、一条ゆかりの名前を挙げている。特に漫画に関しては日頃から読んでいることを公言しており、井上の『リアル』については「涙する」と語るほどの熱狂的ファンである。これがきっかけとなりBS2放送の『BSマンガ夜話』にも出演した。他の漫画家の作品では、「よつばと!」(あずまきよひこ)や「岳 みんなの山」(石塚真一)も愛読書として挙げている。また、楳図かずおのファンであり、共演経験もある。

略歴

1976年11月19日、報道カメラマンの父と保育士の母[34]のもと、2人姉妹の次女として東京都に生まれる。
両親の意向で、3歳からピアノを始める。ピアノ教室で本格的な英才レッスンを積むも、小学校4年生の時に辞める。
高校時代に音楽に目覚め、自らの意思で再びピアノのレッスンを受け出す。この頃から、特にSing Like Talkingの「離れずに暖めて」を聴いて衝撃を受けるなど、ポップスに傾倒するようになる。その後、塩谷哲の「LIFE WITH YOU」のピアノ演奏に影響され、歌手を志すようになる。
多摩大学進学後、20歳を迎えたのを機に(親の承諾なしで履歴書が出せるようになったため)プロの歌手を目指し、数々のボーカルオーディションを受けるも、合格できない日々を送る。そのため、当時まだ面識の無かった塩谷に手紙を送りアドバイスを求めたところ、「君は一生懸命上手に歌おうとしているが、音楽とはただ上手に歌えば感動するものではない」という旨の返事をもらい、これを機にシンガーソングライターとして、作曲を独学で始めるようになる。その後楽曲制作を行うようになるが、1曲を書き上げるのに1年近くの時間を要したという。
1999年
JUN名義でライブハウスでソロ活動を行う。この頃、ふとしたはずみで演歌の歌手オーディションに出場し、グランプリを受賞する。デビューに向けて話が進められるも、演歌歌手として活動していくことに納得できなかった柴田本人が異を唱え、話を白紙に戻す。
2000年
1月、NACK5『MUSIC CHALLENGER』に柴田ぢゅん名義「月光浴」でエントリー。グランプリは逃すも、番組の選定する優秀曲として取り上げられ、デビューのきっかけをつかむ。
2001年
6月27日、Tokiola Recordsよりじゅん名義で、インディーズシングル「ぼくの味方」を発表。
10月、ラジオ番組『EBONY&IVORY』放送開始。ラジオパーソナリティとしても活動を開始する。
10月31日、ドリーミュージック所属第1号アーティストとして、シングル「ぼくの味方」でメジャーデビュー。同日、公式サイトでWeb日記を開設。
2002年
3枚のシングルと1枚のアルバムを発表。
2月13日、初の単独ライブ『柴田淳 First Live ?ぼくの味方?』を原宿アストロホールにて開催。
4月から1年間、仙台放送開局40周年イメージアーティストに起用される。
6月1日、オリコンが選定する「oricon power nextアーティスト」にシングル「月光浴」で選出。全国のFM20局以上のパワープレイを獲得し、発売当時の東京地区のラジオデイリーオンエアチャートでは桑田佳祐の「東京」と首位を争った[42]。
6月29日、NHK総合『ポップジャム』で地上波全国ネットの歌番組に初出演。番組内で、一般観客の投票によって今後のブレイクの可能性の指数が決まる「ブレイクレーダー」において、当時の集計時点で出演アーティスト歴代トップとなる89%を記録した。
2003年
3枚のシングルと1枚のアルバム、1本のDVDを発表。2枚目のオリジナルアルバム『ため息』は、オリコンチャートに21週ランクインするロングヒットとなった。7枚目のシングル「あなたとの日々」は、自身初のオリコンチャートトップ10入りを記録し、スポーツ紙等で取り上げられるほどの話題となった。
3月10日、フジテレビ系『めざましテレビ』内コーナー「広人苑」に出演。放送時点で、宣伝活動での通算移動距離が延べ地球1周分(約40,000km)近くであることが明かされるなど、全国各地を廻る地道な宣伝活動が報じられた。
4月、『柴田淳の月と太陽』放送開始。初の冠番組の担当となる。同月より、「ため息」「夢」がそれぞれ初のドラマ主題歌起用となる。
11月、所属事務所をコットンプロデュースからMS Artist Productsに移籍していたことが明らかとなる。
2004年
2枚のシングルと1枚のアルバム、1本のDVDを発表。この年から2005年にかけて、音楽活動や作品発表が思うように進まず、メンタルヘルスに関する話題が多くなる。特に、アルバム『ひとり』発表からシングル「ちいさなぼくへ」の発表までの10ヶ月間は事実上の音楽活動休止状態となったため、引きこもりになっていたことを多方面で告白した。また、精神的に脆弱であった当時を振り返って「引退を余儀なくされそうになった」「デビュー前以来、2度目の挫折」とも発言している。
11月27日、シングル「ちいさなぼくへ」発売記念のフリーライブを六本木ヒルズにおいて開催。イベントのMCで本人より、翌年に自身初の全国ツアーの開催が宣言されるも、翌年の11月にレーベル・事務所共に移籍となったため、結局開催されなかった。
2005年
2枚のシングルと2枚のアルバム、1本のDVDを発表。初めてニュース番組やドキュメンタリー番組においてナレーターに挑戦した年でもあった。
11月1日、所属事務所をJVCエンタテインメントに(2度目の事務所移籍)、所属レーベルをビクターエンタテインメントにそれぞれ移籍。
11月19日、公式サイトをリニューアル。
2006年
2枚のシングルと1本のDVDを発表。事務所・レーベル共に移籍後、新たな体制で作品制作・発表を開始。移籍後初の作品発表となった12枚目のシングル「花吹雪」は、オリコンチャートトップ10入りを記録した。
7月26日発売のシングル「紅蓮の月」が、東海テレビ制作昼ドラマ枠の主題歌に起用される。前年4月にも楽曲「幻」が同枠で主題歌に起用されており、同枠のドラマ主題歌に2年連続で主題歌が起用されるのは、女性歌手としては初となる。
2007年
2枚のシングルと2枚のアルバム、1本のDVDを発表。14枚目のシングル「HIROMI」がオリコンデイリーチャート2位、ウィークリーチャート5位のヒットを記録した。音楽活動においては、デビュー以来初の全国ツアーを開催するなど大きく飛躍した反面、自身の母親の怪我の影響で、9月に発売されたシングル「カラフル」のプロモーション活動の大幅な縮小を余儀なくされるアクシデントも起こった。その他、初めて女優として作品に出演するなど、音楽活動以外にも多方面に渡る活動を行った。
1月11日発売のシングル「HIROMI」が、オリコンチャートでは自身最高となる5位を記録。歌詞の世界観を映像化した同名の短編映画『short film「HIROMI」』も制作され、本作品で初めて女優に挑戦。
3月から4月にかけて、初のライブツアー『柴田淳ツアー2007 〜しばじゅん、はじめました!〜』を開催。4月10日には東京厚生年金会館で追加公演が行われた。
8月4日、フジテレビ系ドラマ『ゾウのはな子』でテレビドラマ初出演。
2008年
2枚のシングルと1枚のアルバム、1本のDVDを発表。自身の公式サイトにおいてインターネットラジオの放送を開始したり、新たなブログを開設したりと、インターネット上での活動にも力を入れた年であった。
10月から11月にかけて、2度目のライブツアー『柴田淳 CONCERT TOUR 2008 月夜PARTY vol.1 ?しばじゅん、アイスクリームからサニーへ?』を開催。
12月4日、モバゲータウン有名人コーナー内でブログを開設。
2009年
1枚のシングルと1枚のアルバムを発表。自身初の公式ファンクラブが設立され、運営が開始された年であった。音楽活動においては、前年に出演した塩谷哲主催のコンサートイベント『Saltish Night vol.XII』の出演によって挫折を味わい、引退を考えるほどのスランプに陥ったことを明らかにした。
6月、『short film「HIROMI」』が、アジア国際短編映画祭『Short Shorts Film Festival & ASIA 2009』「ミュージックShort部門」にノミネートされる。
9月、アルバム『親愛なる君へ』収録曲「君へ」「椿」の2曲がアジア国際短編映画祭『Short Shorts Film Festival & ASIA 2010』「クリエイティブ部門」の課題曲となる。
10月1日、公式ファンクラブ「蠍一座龍世柴田組」が設立。
12月22日からの2日間、モバゲータウンで公開中のブログがミュージシャン部門でアクセスランキング1位を獲得。
2010年
2月から4月にかけて、3度目の全国ツアー『柴田淳 CONCERT TOUR 2010 月夜PARTY vol.2 〜だってピーナッツだもん〜』を開催。
6月16日、ライブDVD『JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2010月夜PARTY vol.2 ?だってピーナッツだもん?』の発売に先駆け、iTunes Store配信限定のライブアルバム『JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2010 〜ROCK ver.〜』『JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2010 〜BALLAD ver.〜』が配信開始。同J-POPアルバムチャートでそれぞれ1位、2位を独占した。

音楽活動

代表曲として、「月光浴」(2002年)や、オリコンチャート5位を記録した「HIROMI」(2007年)などが挙げられる。

音楽活動を行う上で、公式ファンクラブが運営されている。名称は「蠍一座龍世柴田組」で、2009年10月1日に、デビューから9年目にして初めて設立された。ファンクラブは基本的に「組」と呼称され、会員のことは「組員」、会報のことは「組報」とそれぞれ呼称される。ファンクラブに加入することで、会員証が発行される。その他、会報が年2回発行され、会員限定のウェブサイトへのログインも可能となる。なお、ファンクラブ設立以前の本人の日記では、今後ファンクラブを設立する際には「しばじゅんの味方」という名称にすると語っていたこともある。

楽曲制作

楽曲にはピアノ・ストリングス・アコースティックギター等が頻繁に使用される。発表する楽曲の多くがバラードであり、テンポの速いものでも「カラフル」(2007年)程度のミディアムテンポにとどまる。デビュー当初はイベントやコンサート等で、自身のピアノ弾き語り演奏で披露していたが、現在はCDによる録音発表のみとなっている。弾き語り曲の他にも、ピアノソロ楽曲も複数発表している。

作詞はパソコンや携帯電話を使用して行う。過去にはメモ帳を使用して歌詞を書くこともあり、「ため息」(2003年)はメモ帳に書かれた歌詞をもとにして制作された。楽曲制作は作曲が先行で、後に歌詞を付ける手法で行われる。楽曲のテーマは予め決めて制作することはなく、作詞中に自分の経験や心情を反映させながらテーマ付けていくことが多い。

楽曲の世界観

失恋をテーマにした楽曲を多く発表しており、それらは自らが経験してきた過去の経験が基となっている。その世界観は「癒し系」に対して「しみる系」と雑誌メディア等で形容されたこともある。自らを失恋経験が豊富であると語り、特に「片想い」(2002年)は自身の実体験、「HIROMI」は友人の実体験をそれぞれ基にしていると公言している。また、実体験以外にも、「小鳥と風」(2008年)等は、自身から独立した人物や事象に関して歌詞を書いている。

また、人生観や存在意義をテーマとした内向的な歌詞の楽曲も多く発表している。アルバム『わたし』(2005年)発表時期の楽曲は、当時の精神状態が如実に反映され、自身の存在意義を問うものが顕著に表されている。また、「もうふのなか」(2007年)の歌詞は、学生時代の人間関係を回顧して歌詞を書いたと公言している[75]。これに関しては、小学生時代にクラスで孤立し、高校生時代には所属していたバドミントン部でいじめにあった等の背景があり、卒業した後も夢で見て泣いたことがあると語っており、これらの出来事が直に反映されている。

作品・楽曲の評価

作品の世界観は各著名人から評価を得ている。音楽プロデューサーの松尾潔はCHEMISTRYの楽曲「月夜」の作詞を依頼した。バイオリン奏者の葉加瀬太郎は、音楽番組の共演をきっかけに、公式サイトのコラムで「マイブーム」と発言した[79]。作曲家の植松伸夫は、自身のエッセイ「植松伸夫のみんなそうなの?」において楽曲の世界観に関して「自分がこれまで親しんできた音楽とどこか共通するエッセンス」と評価した。嵐のメンバーである二宮和也は、2003年の嵐のツアー『How's it going〜』で「夢」をギター弾き語りでカバーした。交友関係のある中島美嘉は、以前からファンであることを公言しており、楽曲「声」を提供してもらう際は自ら依頼をしたという。女優の石原さとみは、ドラマで共演した生田斗真の影響で柴田の楽曲を聴くようになり、自身のラジオ番組でも「ぼくの味方」「あなたとの日々」の歌詞を紹介し「しばじゅんさん、歌詞がいいんですよ。」と語っている。「愛をする人」の歌詞に関しては、女優の木村佳乃は「涙なしには聴けない歌」と賞賛している。その他、EXILEのネスミスが自身のブログで柴田のライブ映像を見て「とてもやさしい気持ちになれます」と語ったり、FUZZY CONTROLのJOEもファンであることを公言している。

オリコンチャートにおけるチャート順位の推移は、インディーズ盤およびデビューシングル「ぼくの味方」(2001年)はいずれもチャート圏外(100位以下)であったが、3枚目のシングル「月光浴」(2002年)が34位にランクインしたことを期に、大幅なチャート順位の上昇がみられる。シングル「あなたとの日々」(2003年)が8位にランクインし、初めてオリコントップ10入りとなって以来、2009年までにシングル3枚、アルバム4枚、DVD6本がそれぞれトップ10入りを記録している。同チャートにおける最高順位は、シングルでは「HIROMI」(2007年)が5位、アルバムでは『わたし』(2005年)が6位、DVDでは『JUN SHIBATA LIVE AT GLORIA CHAPEL』(2004年)および『Jun Shibata Music Film Collection しば漬け2』(2005年)が5位を、それぞれ記録している。
(Wikipediaより引用)

これらの音源は、「八百屋さんの居酒屋やすい」で視聴できます。
http://www.kuromon-yasui.jp/izakaya.htm
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http://www.kuromon-yasui.jp/ordeo.htm