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邦楽/男性VO/HM・HR

聖飢魔II
せいきまつ(日本)
WORST
ベスト盤
聖飢魔II(せいきまつ、英表記:SEIKIMA-II、SEIKIMA II、海外公演の際にはTHE END OF THE CENTURY)。
公式プロフィールや彼らの発言によれば、音楽を媒介にして悪魔教を布教するために組織された「教団」である。目的は地球征服を完遂して解散すること。また各構成員(メンバー)は地獄から来た悪魔だとしている。創始者はダミアン浜田地獄皇太子殿下(現サタン45世大魔王陛下)。名称は「なる物にえている悪II(ふたた)び蘇る」の略とされている。
1982年12月末、早稲田大学フォークソングクラブ(WFS)にて、ダミアン浜田地獄皇太子殿下を中心に結成された(当初のバンド名は、『は は は はまださんバンド』)。オリジナル構成員は、ダミアン浜田地獄皇太子殿下(リーダー、ギター)、デーモン小暮閣下(ボーカル)、エース清水長官(ドラム)、ゾッド星島親分(ベース)である。
1984年3月、ダミアン殿下の突然の帰獄のため、聖飢魔IIは解散しなければならなくなった。解散ミサも行われた。しかし解散が決まる前に応募していたコンテストに勝ち進んでいたことを理由に、何とか存続している状態だった。 コンテストでは決勝まで勝ち進んだものの、結局なにも賞をとれず、決勝敗退のその日をもって解散状態となった。
残されたデーモン閣下・エース長官・ジード大将は、後の構成員Sgt.ルーク篁III世参謀とともに紫馬肥という新たなるバンドの活動を始めていたが、その直後にダミアン殿下が1年の猶予で復帰したことにより、解散は撤回された。その後、ダミアン殿下からデーモン閣下に統帥権の移行・即ちリーダーの交代が漸次行われた。
1984年8月、解散前に応募していたCBSソニーのオーディションで合格したため、地球デビューが決まる。
1985年2月〜3月にかけて、悪魔事異動によりダミアン殿下、ジード飯島が相次いで脱退。
1985年9月に地球デビュー大教典『聖飢魔II?悪魔が来たりてヘヴィメタる』を発布(発売)する。 同アルバムは、ヘヴィメタル専門誌BURRN!においてレビュー史上初の『0点』をつけられた。タイトルの「ヘヴィメタる」に象徴されるバンドのコンセプトに対して、評者が「(神聖なる)ヘヴィメタルをコケにした」と反発したためである。
1986年4月、小教典『蝋人形の館』と、大教典『THE END OF THE CENTURY』を同時発布する。 (蝋人形の「蝋」の字は正しくは?(U+881F)であるが、一部の日本語環境では表示できないため、以後本文中では基本的に「蝋」と表記する) 「ザ・ベストテン」出演などで注目を集め、大教典はオリコン5位を記録し、小教典は初登場17位ながら30万枚をこえる大ヒットとなり、売り上げ以上に一大ムーブメントとなる。バンドのキャラクターグッズやゲームソフト「聖飢魔II 悪魔の逆襲」が発売されるほどだった。
この大ブレイクを受け、「夕やけニャンニャン」や「森田一義アワー 笑っていいとも!」などへの出演など、多くのレギュラー番組を持つようになった。
第3大教典『地獄より愛をこめて』の制作をスタートさせる。前2作は、聖飢魔II創始者であるダミアン浜田殿下作曲によるデビュー前の遺産を中心に収録されていたが、この教典の楽曲のほとんどはジェイル代官による作曲である。 しかしこの教典のツアー中、11月前半にジェイル代官は脱退を決意。いわゆるミーハー・ファン、タレント的バラエティ番組への出演などに嫌気が差していた彼は、元々やりたかったアメリカン・ロックへの夢を実現させるべく、1987年1月に聖飢魔IIを脱退し、渡米する。 ?その後1995年、1999年(両サタン・オール・スターズというイベント)、2005年には、ジェイル大橋代官として聖飢魔IIのミサにゲスト参加する。
再出発を果たした聖飢魔IIは、新規信者を獲得していくことを目指して、シンセサイザーを大胆に導入した小教典『STAINLESS NIGHT』を発布し、スマッシュヒットを記録する。
さらに1988年、NHK登場を果たすなど大活躍する。
その後、プロデューサーにレベッカの土橋安騎夫を迎え、大教典『THE OUTER MISSION』の製作に着手し、これに先駆けて発布された『WINNER!』は自己最高の売り上げを記録した。
年末に発布された『THE OUTER MISSION』は、オリコン7位を記録し、売り上げ面でも好調だった。
1989年に入り、上半期は音楽活動をしていなかったが、8月に発布された小教典『白い奇蹟』は初のバラード小教典で、大ヒットを記録する。
翌月発布された極悪集大成盤(いわゆるベストアルバム)『WORST』は、オリコン1位を記録した。また、年末にはNHK紅白歌合戦にも出演した。
1990年、『白い奇蹟』に続きバラード小教典『BAD AGAIN ?美しき反逆?』を発布し、TV CMでも使われた。
同年、アルバム『有害』をリリースする。
バラードが2曲続いた反動でハードロック路線の教典となった。
1991年夏、期間限定のバンド爆裂聖飢魔IIとしてシングル『夏休み』をリリースする。爆裂聖飢魔IIのメンバー名の頭には「爆裂」が付き、衣装は蛍光色を用いた派手なものだった。爆裂聖飢魔IIとしてミュージックステーションに出演した際にはデーモンが「爆裂」を連呼し普段と違うことを強調した。
結局、爆裂聖飢魔IIとしてのリリースはこの1枚だけだったが、デーモン閣下はこの時の衣装を解散後にもよく使用している。
さらには、映画主題歌となった『赤い玉の伝説』をリリースし、ヒットを記録する。
また同年、初の海外公演としてニューヨーク、ロンドン、セビリアにおいてもミサを行い、うちロンドンとスペイン公演は、活動絵巻教典『実録!欧州非常事態宣言』に、ロンドン公演だけは大教典『LIVE! BLACKMASS IN LONDON』に収められている。
このライブがきっかけで、アメリカのレーベルからオファーが来たが、そのプロダクションが倒産してしまっため、この話は流れた。
この時期、聖飢魔IIの活動の合間を縫って全員がソロ活動を行い、それぞれCDも発表している(ソロ活動に関してはデーモン小暮閣下、ACE、ルーク篁、RXを参照)。
1992年、アニメビデオ『HUMANE SOCIETY ?人類愛に満ちた社会?』とそのテーマ曲『正義のために』を発布。また、悪魔的な世界観に回帰し、12曲中10曲で人が死ぬ大教典『恐怖のレストラン』を発布。「殺人教典」とも呼ばれ、あまりにも過激な内容のため、NHKから出演禁止処分を受けてしまう。
また、同年夏にブラバムF1チームのスポンサーになった。これは同年途中より、同チームのドライバーに、閣下と同じ名前のイギリス人ドライバーのデーモン・ヒルが起用されたことが縁でスポンサーになったものである。ただし援助も空しく、ブラバムは資金難のため年度途中で撤退。マシンの開発資金も乏しく、予選突破も困難な体制で、閣下の絵が描かれたマシンが決勝レースを走ったのはわずか1レースだった。なお、デーモン・ヒルはその後ウィリアムズ・ルノーに移籍し1996年には見事、F1世界征服(チャンピオン?)を果たした。
1994年夏、大教典『PONK!!』を発布。
1996年、BMGに移籍した聖飢魔IIは地球デビュー前の曲『野獣』に続き大教典『メフィストフェレスの肖像』を発布した。このアルバムでは離れていった信者を呼び戻すべく、旧構成員ダミアン殿下とジェイル代官の楽曲を収録している。『GREAT DEVOTION』や『HOLY BLOOD ?闘いの血統?』といった、解散時や再集結時にも演奏された曲も収録されている。それまでを考えれば非常に低予算での制作で、仮録音のはずのテイクが多数本番に使用される、ジャケットも音楽もシンプルなスタイルとなった。
1997年、『NEWS』をリリース。悪魔云々というスタイルからついに脱却し、プログレッシブ・ロックにも通じる前衛性な手法も取り入れていた。
また、本年には所属事務所を吉本興業に改め、「THE BRAND NEW BLACKMASS TOUR」というライブハウスでのツアーを行い、周囲を驚かせた。
1998年、解散を翌年に控えた聖飢魔IIはジョー・リノイエをプロデューサーに迎え『MOVE』をリリース。一般に聖飢魔IIというとイメージするヘヴィメタルの曲を一切含まない作品である。
地球デビュー当時からの予定通りに解散する事を、1999年4月に改めて発表した。
4月にリメイク曲『蝋人形の館 '99』、5月に新録・新曲を含む本家極悪集大成盤『1999 BLACK LIST』、7月に新録を含む元祖極悪集大成盤『1999 BLOOD LIST』、11月にソロ活動のベスト盤『聖飢魔II 個悪魔活動大選抜』といったコンピレーション作品を多くリリースした。
10月には最終大教典『LIVING LEGEND』をリリースし、最後のツアー「THE FINAL BLACKMASS TOUR LIVING LEGEND」を行った。
そして1999年12月29日から31日の3日間、東京ベイNKホール(千葉県 浦安市)にて究極の黒ミサTHE ULTIMATE BLACK MASSが開かれた。3日間メニューが異なり、全部で68曲が演奏された(ちなみにダブリ曲はたった2曲である)。初日は演出に趣向を凝らし聖飢魔IIの歴史をシアトリカルに物語られるTHEATRICAL DAYとして日本舞踊家花柳鳴介と劇団☆新感線をゲストに迎えて行われた。
二日目はTHE SATAN ALL STARS' DAYとして過去の構成員のうち2名を除く新旧構成員全13名でミサを行った(その2名はビデオメッセージで登場)。
そして最終日はTHE DOOMSDAYとして、二幕構成による聖飢魔II史上最も多くの曲を演奏するミサが行われた。 このミサの最後1999年12月31日23時59分59秒、聖飢魔IIは光の中へ姿を消しデビューから約14年4ヶ月の歴史にピリオドを打った…。

今作『WORST』(ワースト)は、聖飢魔IIの第六教典で初のベストアルバム。
単に過去の楽曲を収録しただけではなく、多くの楽曲がニューヨークにてリミックスがなされるか、一部又は全部のパートが新たに録音されるなどしたため、1991年にリリースされた『愛と虐殺の日々 [歴代小教典大全(シングルコレクション)]』と完全に一致するヴァージョンは収録されていない。
多くのバンドではアルバムを数える際に、ベスト盤やライブ盤などの企画盤・編集盤はオリジナル・アルバムから除外することが多いが、聖飢魔IIではアルバムの種類を区別せずに通して数える。
ジャケットには黒を背景に8つの石膏の顔(ベートーヴェンのデスマスク)があり、そのうち7つにはそれぞれ地球デビュー後に在籍した7名の構成員と同様の顔の模様が施されている。
歌詞など記載のブックレットとは別に、デーモン小暮閣下による全曲解説が付属している。
この作品は日本のヘヴィメタルバンドでは史上初のオリコンチャート1位獲得作品であり、後にX JAPANが史上2バンド目で獲得して以降1位を獲得したバンドはいない。ジャパニーズメタルの王者と呼ばれるLOUDNESSでさえ最高位が2位である事を考えると大変な快挙である。(Wikipediaより引用)

当時はコレしかベスト盤がなかったので買いました。今はもっといろいろ出てると思います。「Bad Again」が入ってないのがショックでした。今作には、おなじみ「蝋人形の館」はじめ「stainless night」「WINNER!」「Never Ending Darkness」「EL・DO・RA・DO」といった名曲が収録されています。

これらの音源は、「八百屋さんの居酒屋やすい」で視聴できます。
http://www.kuromon-yasui.jp/izakaya.htm
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http://www.kuromon-yasui.jp/ordeo.htm