このサイト(CDレビューのページ)のトップページへ
このサイト(黒門市場やすい)のメインホームページへ
Riot
Thundersteel
ライオット(RIOT)は1970年代後半から活動するアメリカ合衆国のハードロック/ヘヴィメタルバンドである。

来歴


活動期間が非常に長く、極めてメンバー・チェンジの激しいバンドであること、またメンバー構成(特にヴォーカリスト)によって音楽性も少しずつ異なるため、ヴォーカリストの在籍期間ごとに区切って記載する。各パートごとのおおよその在籍期間は#メンバーを参照。

結成〜ガイ・スペランザ時代(1975〜1981)

1975年頃ニューヨーク・ブルックリンでギタリストのマーク・リアリを中心に結成され、1977年にプロデューサー、スティーヴ・ローブ(後にこのバンドのマネージメントも手掛けることになる人物)が主宰していた「Fire Sign」なる個人レーベルから1stアルバム「ROCK CITY」をリリース。このアルバムは翌78年に日本でも「怒りの廃墟」という邦題でリリースされ、特に現在に至るまで彼らの代名詞的と目される楽曲「Warrior」は「幻の叫び」という邦題でシングル・カットされ、更にアイドル歌手の五十嵐夕紀によって「バイ・バイ・ボーイ」なるタイトルでカヴァーもされた。リアリにとっても「当時日本で人気を博したことは予想外だった」との事で、その後も日本とは何かと関係が深く、現在に至るまで日本は彼らの主要なマーケットの1つでもある(この1stアルバムには「Tokyo Rose」なる楽曲もある)。
1979年にキャピトル・レコードからリリースされた2ndアルバム及びそのアルバムに収録されているインストゥルメンタル・チューンのタイトル「NARITA」は日本の成田国際空港にまつわる、いわゆる「成田闘争」に由来している。この曲も、「Warrior」と並び彼らの代表曲の1つであり、また数あるHM/HRのインスト・チューンの中でも特に知名度が高い楽曲の1つでもある。
この頃の楽曲は、コード・ワークによるギター・リフ中心のアメリカン・ハードロックがメインではあるが、前述の「Warrior」「Narita」をはじめ、後にファンから「ライオット節」と呼ばれることになる、ツイン・リードギターによって奏でられる、独特の哀愁を帯びた叙情的なメロディが既に見られる。また、後々まで良くも悪くもこのバンドのトレードマークとなる、頭部のみアザラシでそれ以外が人間という謎のキャラクターが1stアルバムからずっとアルバム・ジャケットに登場している(数枚の例外あり)。「NARITA」のアートワークはヴォーカリスト、ガイ・スペランザが足を広げてかがみ、口をとがらせている写真に酷似しているが、このアザラシのモデルはバンドのローディであったMike"Mighty" Tiorであり、彼は『ROCK CITY』というファンサイトを運営していたこともある。Tiorとアザラシについては、伊藤政則氏が「ROCK CITY」再発CDのライナー・ノーツに「笑いがこぼれるほどそっくりだった」と記述している。
1980年、エレクトラ・レコードに移籍して3rdアルバム「FIRE DOWN UNDER」をリリース後、第1回モンスターズ・オブ・ロックへの出演を果たすが、スペランザが「ツアーに疲れた」との理由で脱退。後任には、地声を活かした個性的なハイ・トーン・ヴォーカルを得意とするスペランザとはタイプが異なり、中音域のブルージーな歌唱を得意とするレット・フォリスターが加入した。この時点で、既にリアリ以外のオリジナル・メンバーは1人もいなくなってしまった。

レット・フォリスター時代(1981〜1984)
フォリスターを迎えて製作された4thアルバム「RESTLESS BREED」ではフォリスターの歌唱スタイルに合わせたのか、ブルーズ色の強い楽曲が大半を占め、叙情的なメロディは後退した。この音楽性の急変故か、このアルバムは前作ほどの商業的成功を収めることはできず、契約消化のためにミニ・ライヴアルバム「RIOT LIVE」をリリースした後、「Elektra」との契約は打ち切られ、次作「BORN IN AMERICA」のリリースはカナダのインディーズ・レーベル「Quality Records」からとなった。本作はフォリスター時代の作品であるが故か、前作同様評価も注目度も低いが、特にリアリ作の楽曲は本来の叙情的なメロディを取り戻しており、フォリスターの声質が上手く「ライオット節」に合致している。しかしながら、これ以降活動は停滞し、遂にバンドは解散してしまった。

解散〜復活前夜(1984〜1988)
この解散時期は、後にマーク・リアリがBurrn!のインタビューで語ったところによると、RIOTの名前で活動を続ける限り、マネージメントとの理不尽な契約に縛られてしまうため、それを回避するための偽装解散であったという。この時期、リアリはテキサスに渡り、地元のバンド・S.A.SLAYER(スレイヤーとは無関係)のメンバーと共にNARITAなるバンドを結成。当時の音源として「The Feeling Is Gone」「Liar」「Thundersteel」の3曲が収録されたラジオ局向けのデモ・テープが存在する。
こうした活動を続けていたリアリの元に、1986年、「FIRE DOWN UNDER」以降のドラマー、サンディ・スレイヴィンから再結成の話が持ち掛けられ、リアリはS.A.SLAYER〜NARITAのベーシスト、ドン・ヴァン・スタヴァンを伴って、スレイヴィンのいるLAに向かう。こうして、リアリ、スレイヴィン、スタヴァンに無名のギタリストとヴォーカリストを加えて「RIOT」名義での再結成が実現し、ツアーを行った。この再結成ツアーには後にレット・フォリスターが合流した。このツアーでは、新曲として「Sign Of The Crimson Storm」が演奏されている。

トニー・ムーア時代(1988〜1993)
こうして再結成を果たしたものの、リアリとの音楽的方向性の違いからスレイヴィンが脱退、フォリスターら他のメンバーもバンドを去り、リアリ、スタヴァンの2人だけとなってしまったが、線は細いがメタリックなハイ・トーン・ヴォーカルが特徴のトニー・ムーアが加入、ライオン等の活動で知られるドラマー、マーク・エドワーズを迎えて再結成アルバムのレコーディングが開始された。ドラマーには結局、エドワーズに代わりJUGGERNAUTなるプログレ/スラッシュメタルバンドでプレイしており、後にハルフォードやセバスチャン・バック等の活動でも知られることになるボビー・ジャーゾンベクが加入し、リアリ、スタヴァン、ムーア、ジャーゾンベクというメンバーで1988年、再結成第一弾アルバム「THUNDERSTEEL」がリリースされた。
本作リリース当時はスラッシュメタルやパワーメタルなどの攻撃性と疾走感を前面に押し出したヘヴィメタルが人気を博しており、その影響からか、本作はこれ以前と比べて哀愁のメロディは保ちつつ、スピード感、攻撃性は全く異なるサウンドとなった。その衝撃的な内容に、それまでのファンは変化に驚きつつ、そのクオリティにも驚いた。新たにスピードメタルを求めていたファンも獲得し、『Burrn!』誌やFM番組『POWER ROCK TODAY』などの人気投票で軒並み上位を獲得するなど、日本のメタルファンの中で大きな地位を築く事になる。
続いて1989年、「THE PRIVILEGE OF POWER」のレコーディング終了後、2人目のギタリストとしてマイク・フリンツが加入、5人編成で初来日公演が実現し、来日後の1990年「THE PRIVILEGE〜」がリリースされた。このアルバムは、ジョー・リン・ターナーやタワー・オブ・パワーなど多彩なゲストが参加していたが、大胆なホーン・セクションの導入や、曲間に挿入された、長いものだと1〜2分以上にも渡るSE等実験的な要素が多く、当時物議を醸した。
同年、早くも2度目の来日公演が実現するが、この来日を前にスタヴァンが脱退、後任にはジャーゾンベクと共にプログレメタル・バンドSPASTIC INKのメンバーでもある、ピート・ペレスが加入。

マイク・ディメオ時代(1993〜2008)
1991年、キーボード・プレイヤー兼バック・ヴォーカルとしてマイク・ディメオが加入、バンドは一時的に6人編成となるが、今度はムーアが脱退してしまい、急遽ディメオをリード・ヴォーカルに転向させて、1993年再結成後3枚目となる「NIGHTBREAKER」をリリース。スタジオ・アルバムではバンド史上初めて、アザラシがジャケットに登場しておらず(リンク先のジャケット写真はドイツ盤)、それまでに類を見ないほどアートワークのやる気のないジャケットとなってしまった。

これ以降の音楽性は、基本的には「THUNDERSTEEL」の延長線上のメロディック・パワーメタルであるが、ムーアとは全くスタイルが違い、中音域寄りでややハスキー、かつ湿った声質のディメオのヴォーカルのため、またリアリの作曲パートナーがパワーメタルを得意としていたスタヴァンではなくなった事もあり、攻撃性は薄れた。しかも、デビュー当時からずっとバンドに関わってきたプロデューサー兼マネージャー、スティーヴ・ローブとの確執が「THE BRETHREN OF THE LONG HOUSE」の酷いサウンド・プロダクションを巡って1996年頃から表面化するなど、音楽面以外でも様々なトラブルに見舞われてしまい、中心人物であるリアリが音楽活動に集中できる環境であるとは言い難い状況、更に90年代前半頃から始まったグランジ/オルタナティヴの隆盛など、正統派ヘヴィメタルに対する逆風の吹き荒れる時代の趨勢も相俟って、アルバム自体の話題、セールス等でもムーア時代を超えることはできていない。

ディメオ加入後は、2005年までディメオ、リアリ、フリンツ、ペレスは不動、ドラマーはジャーゾンベクが脱退と再加入を繰り返す、というラインナップで「NIGHTBREAKER(1993年)」「THE BRETHREN OF THE LONG HOUSE(1996年)(Ds:ジョン・マカルーソ)」「INISHMORE(1998年)」「SONS OF SOCIETY(1999年)」「THROUGH THE STORM(2002年)(Ds:ボビー・ロンディネリ)」「ARMY OF ONE(2006年)(Ds:フランク・ギルクライスト)」の各アルバムをリリース。ドラマーは、特に断っていない限りジャーゾンベク。

2005年9月の来日時には、ヴォーカルをTHE LIZARDS(「THROUGH THE STORM」に参加した元レインボー、ブラック・サバス等のドラマー、ボビー・ロンディネリのバンド)の活動の為参加できなかったディメオに代わりマイク・ティレリが、ドラムスをVIRGIN STEELEのメンバーであり、ティレリと共にHOLY MOTHERのメンバーでもあるフランク・ギルクライストが務めた。
2009年10月現在の最新アルバム「ARMY OF ONE」ではディメオがヴォーカリストを務めたが(Dsはギルクライスト)、結局ディメオは掛け持ち加入していたマスタープランに専念する為に正式に脱退(後にマスタープランも脱退)。2007年の来日公演では再びティレリがヴォーカリストを務め、ディメオ時代には再現できなかった「Dance Of Death」等のトニー・ムーア時代の楽曲を披露し往年のファンを狂喜させた。

8808 THE THUNDERSTEEL REUNION(2008〜2009)
2008年、「THUNDERSTEEL」20周年を記念して同アルバムリリース当時のメンバーが再集結してアルバムをリリースする、と発表。ムーア、リアリ、スタヴァン、ジャーゾンベクという「THUNDERSTEEL」「PRIVILEGE〜」のレコーディング・メンバーにフリンツを加えた5人(初来日時のメンバー)でアルバムの制作を開始。2009年6月にはこのメンバーでテキサス・サンアントニオでライヴを行い、新曲「Wings Are For Angels」や「Swords And Tequila」「Outlaw」「Fight Or Fall」「Johnny's Back」等の曲を披露し、その後「Sweden Rock Festival」などのイベントに参加した。しかし、旧公式サイトの管理人"6th Member"による「Reunionには関われない」とのホームページへの書き込みなど、以前の関係者とリユニオン側の関係者との間に何らかの確執があった様子も窺える。
2009年10月、来日公演が実現、それに先駆けて同年同月「THUNDERSTEEL」「PRIVILEGE〜」がデジタル・リマスタリングを施されて再リリースされた。この2枚のアルバムには当初ボーナス・トラック追加の予定があったようだが、実現しなかった。
この日本公演中に、ムーア自身による「アタラシイ・レコード・ハルニデマス」との日本語のアナウンスがありファンは期待を寄せたが、今後の活動方針をめぐって意見が対立し、ムーアは再脱退しFAITH AND FIREに専念すると発表された。

現在(2009〜)
ムーア脱退を受けてバンドは後任のヴォーカリスト探しを始めた。後任が決定次第アルバム制作を再開し、2010年に発表する予定。

オリジナルアルバム

1977年 ROCK CITY
1979年 NARITA
1981年 FIRE DOWN UNDER
1982年 RESTLESS BREED
1984年 BORN IN AMERICA
1988年 THUNDERSTEEL
1990年 THE PRIVILEGE OF POWER
1993年 NIGHTBREAKER
1996年 THE BRETHREN OF THE LONG HOUSE
1998年 INISHMORE
1999年 SONS OF SOCIETY
2002年 THROUGH THE STORM
2006年 ARMY OF ONE
(Wikipediaより引用)

これらの音源は、「八百屋さんの居酒屋やすい」で視聴できます。
http://www.kuromon-yasui.jp/izakaya.htm
オーディオシステムに関しましてはコチラ             
http://www.kuromon-yasui.jp/ordeo.htm