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洋楽/男性VO/HM・HR

Quiet Riot
クワイエット・ライオット(アメリカ)
Metal Health
3作目
1975年、ランディ・ローズにより結成され、オリジナル・ラインナップはケヴィン・ダブロウ(ボーカル)、ケリー・ガルニ(ベース)、ドリュー・フォーサイス(ドラムス)であった。当初、オリジナルメンバーでアルバム「QUIET RIOT」(QRI)をレコーディングし、1978年に日本でリリースされた。しかし数ヵ月後、ベーシストのケリーが脱退。後任にルディ・サーゾを迎え、2ndアルバム「QUIET RIOT II」(QR II)を日本で1979年にリリースした。この2枚のアルバムはアメリカでは未発表のままである。尚、2ndアルバムにルディ・サーゾは参加していない。
アメリカでのリリースの失敗後、1979年11月、ランディ・ローズはバンドを離れてオジー・オズボーンのバンドに加入。1981年にはルディ・サーゾもオジーのバンドに加入した。しかしダブロウとフォーサイズはバンドを継続する意思でいた。そして1980年から1982年の間、バンド名をDuBrowに変更することになる。しかし1982年3月19日、ランディ・ローズが飛行機墜落事故で死去したのを受け、DuBrowは再びQuiet Riotとして活動することとなる。カルロス・カヴァーソをギタリストに迎え、ドラマーはフランキー・バネリーを加えてここに新たなるラインナップが完成。1983年、彼らのアメリカでのデビュー作「METAL HEALTH」が発表された。
1983年8月、2ndシングルである"Cum On Feel the Noize"がリリースされた。この曲はスレイドの1973年のヒット曲のカヴァーで、全米5位の大ヒットとなった。ヘヴィメタルバンドでビルボードチャートで5位以内にランクインした曲はこれが初めてのことであった。またこの曲のヒットのお陰でアルバムもビルボードチャートを上昇していき、全米1位を記録した。1983年当時、ヘヴィメタルバンドがアルバムを全米1位に送り出すことは非常に珍しいことであった。
1984年、バンドは前作と同じメンバーで「CONDITION CRTICAL」をリリースした。そこそこヒットはしたが、前作のような成功は得られず300万枚の売り上げにとどまった。
1985年にはベーシストのルディ・サーゾが脱退。後任には元Giuffriaのチャック・ライトが迎えれた。次に、バンドは1986年にアルバム「QR III」をリリースしたが、再び失敗作に終わり、ダブロウは彼に激怒したメンバーによりバンドを追い出されてしまった。後任には元ラフカットのポール・ショーティノが迎えられた。また、ベーシストのチャック・ライトも解雇されており、シーン・ マックナブが後を引き継いだ。やがてバンドはアルバム「QR」をリリースしたが、今回もまた商業的失敗に終わり、しかもアルバム・タイトルはかつて彼らがランディ・ローズと制作した1stアルバムと同じものだった。やがてバンドは1989年のツアー最終地であるハワイでの公演を最後に活動を停止することになる。フランキー・バネリーはW.A.S.P.のサポート・メンバーとして活動。
その後、1990年代に入ると不仲であったかつてのメンバー達は徐々にコミュニケーションを取れるようになり、ダブロウとカヴァーゾはHeat(しかし後に再びQuiet Riot名義に変更)を結成し、1993年にアルバム「TERRIFIED」をリリースした。ちなみにドラムはバネリーが、ベースはケニー・ヒラリーが担当した。またその同年、ランディ・ローズ時代の曲といくつかの未発表曲を収録した「THE RANDY RHOADS YEARS」をリリース。その際大部分のヴォーカルが新録された。しかしヒラリーは1995年にバンドを去った後、1996年6月5日に自らの命を絶ってしまう。これを受け、チャックが再びベーシストとして参加し、バンドは「DOWN TO THE BONE」をリリース(1995年)。そしてその翌年にはランディ時代および1990年代に発表した以外の曲をコレクトした「GREATEST HITS」をリリースした。1997年にはルディ・サーゾが再び加わり、ツアーを敢行した。
このツアーは成功には至らず、メンバーが何度か逮捕されたりもした。また怒った一人のファンが、ダブロウがステージでの役割をきちんとこなさなかったとして訴えるという事件も発生した。1999年、新曲およびかつての名曲幾つかを収録した「ALIVE AND WELL」をリリース。
バンドは2003年に公式に解散し、ルディは後にDIOに加入したが、早くも2005年には再結成し(ラインナップはダブロウ、フランキー、チャック、そしてアレックス・グロッシ)、シンデレラ、ラット、ファイアーハウスらと共にツアーを行った。
2006年にはチャックとアレックスが脱退し、トレイシー・ガンズが加入したが、2週間後には音楽性の違いから脱退してしまう。2006年8月、バンドはチャックが再びバンドに戻ってきたと発表した。
バンドは現在新しいアルバムのレコーディング中だが、収録曲および期日については未だ明らかにされていない。
共同通信によると、2007年11月25日、ダブロウの遺体がネバダ州ラスベガスの自宅で見つかった。52歳。死因はコカインの過剰摂取によるものだった。(Wikipediaより引用)

83年発表のアメリカでのデビュー作(故ランディ・ローズを擁した初期2作は日本のみのリリースということで)。プロデューサーはこれが出世作になるスペンサー・プロファー。
母国ではほとんど無名の存在だったクワイエット・ライオットは、このアルバムの大ヒットでラット、モトリー・クルー等と共に80年代“LAメタル”ブームの火付け役となりました。HM/HR史上初のNo.1となった「Cum On Feel the Noize」はHM/HRの歴史を語る上で外せない名曲で、当時マイナーなジャンルだった”ヘビーメタル”を一躍メジャーに押し上げたこの曲の功績は計り知れないと思います。残念ながら、故ランディ・ローズに捧げた「Thunderbird」等、ことあるごとにランディ・ローズの名前をだし、ランディの名をかたってヒット狙った、という誹謗中傷もあり、大ヒット曲「Cum On Feel the Noize」もスレイドのカヴァー、次作「Mama Weer All Crazee Now」スレイドのカヴァー。その後はメンバー間の不仲をライヴでも露骨にさらけだして底の浅さを露呈する結果になり、ファンを失望させる事となります。「Cum On Feel the Noize」以降はこれといったヒット曲にも恵まれず、彼等の人気は一気に失速、見事に一発屋の烙印を押されてしまいました。ただ、このアルバムはジャケットからしてエンターテイメントに大変すぐれており、「Metal Health」他、HM/HRのダークな部分をとっぱらった爽快なアメリカン・ロックとしてとても充実した内容になっていると思います。今、聴いても十分楽しめる内容なので、当時の彼等を知らない若い世代の方々にもぜひ聴いてもらいたいですね。

ちなみに、クワイエット・ライオットの作品に興味があれば、この1枚があれば十分という声もありますが、個人的にはラフカットのポール・ショーティノ(VO)を迎えて制作されたダーティーでブルージーな「QR」も押さえてもらいたいトコロ。内容的にはクワイエット・ライオットのサウンドじゃないですけどね、別バンドとしてとらえた方がいいかも。不遇の天才ボーカリスト、ポール・ショーティノの絶世の歌唱力は素晴らしいので、ボーカル好きのHM/HRファンにはぜひ一聴していただきたい。
洋楽/男性VO/HM・HR

Quiet Riot
クワイエット・ライオット
QR


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