このサイト(CDレビューのページ)のトップページへ
このサイト(黒門市場やすい)のメインホームページへ
洋楽/男性VO/ブラック/ソウル/R&B/ブラック・コンテンポラリー

Lionel Richie
ライオネル・リッチー(アメリカ)
Back To Front
ベスト盤
ライオネル・ブロックマン・リッチー・ジュニアはアメリカのシンガー、ソングライター、ミュージシャンである。ブラックミュージックの枠を超えた黒人のポップスターとして、1980年代にマイケル・ジャクソンと双璧をなす人気を誇った。
アラバマ州タスキーギ出身。1968年、タスキーギ大学在学中にコモドアーズを結成。同大学卒業後、オーバーン大学の大学院に学んだが、後にモータウンと契約しジャクソン5のバックバンドを務める。ライオネルはサックスを担当していた。
コモドアーズは1974年にアルバム「マシン・ガン」でデビューする。当初は演奏面に比重を置いたファンク・バンドであったがやがてライオネルの甘い歌声をフィーチャーしたバラード曲『イージー』などのヒットを飛ばし、その路線を押し進めるようになる。
ライオネルは作曲家としても数々のアーティストに曲を提供、ケニー・ロジャースの『レイディ』は1980年に全米1位の大ヒットとなる。翌1981年にはダイアナ・ロスとのデュエット曲『エンドレス・ラブ』も全米1位の大ヒットを記録した。現在もデュエット・バラードの定番となっている。
1982年、ライオネルはコモドアーズを脱退しソロ活動を開始する。同年に『トゥルーリー』が大ヒット。翌1983年に発表したアルバム「オール・ナイト・ロング(Can't Slow Down)」からは『オール・ナイト・ロング」『ハロー(心の扉)』などの大ヒット曲が生まれ、ライオネルは一躍アメリカを代表するスーパースターとなった。
1985年にはマイケル・ジャクソンとの共作で、USAフォー・アフリカのチャリティー曲『ウィー・アー・ザ・ワールド』を作曲。居並ぶスーパースターたちの中で名誉ある歌い出しを務めた。1986年発表の「ダンシング・オン・ザ・シーリング」からは『セイ・ユー・セイ・ミー』が5曲目の全米1位を獲得するが、この後ライオネルはしばらく表舞台から退いた。なお、『セイ・ユー・セイ・ミー』でアカデミー歌曲賞を受賞している。
1996年に10年ぶりとなる復帰作を発表し、その後もマイペースでアルバムを発表しているがヒットはしていない。近年では養子の娘ニコール・リッチーがテレビパーソナリティとして人気者となっており、また離婚した元妻から請求された莫大な慰謝料と豪勢な生活ぶりが報じられるなど音楽以外の面で話題になってしまっている。
甘く親しみやすいバラードを得意とするライオネルの作風は、「もはや黒人音楽ではない」と批判めいた評価を受けることもあった。しかしブラックミュージックの枠を超えた黒人のスターとして、同時期に社会現象を巻き起こしたマイケル・ジャクソンとともにライオネルがアメリカのポピュラー音楽界に残した功績は大きいといえるだろう。
近年、北米よりもヨーロッパでの人気が根強くコンサート・ツアーもヨーロッパ主体になっていた。
2006年、2年ぶりの新作『Coming Home』がBillboard 200で初登場6位に。彼にとって初めて、Billboardチャート初登場TOP10入りを果たした。(Wikipediaより引用)

ソウルとかブラコンとかいうより、完全にポップ・ミュージシャンですね、コレは。このベスト盤はもちろんバラード中心で、おなじみの曲がズラリ。優しい歌声に癒されます。私のように”とりあえず”の方にはもってこいのベスト盤。でも彼って、以外とバラードのデュエット曲が少ないんですね。

これらの音源は、「八百屋さんの居酒屋やすい」で視聴できます。
http://www.kuromon-yasui.jp/izakaya.htm
オーディオシステムに関しましてはコチラ             
http://www.kuromon-yasui.jp/ordeo.htm