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洋楽/男性VO/HM・HR

Gary Moore
ゲイリー・ムーア(アイルランド)
Corridors Of Power

ゲイリー・ムーア(Robert William Gary Moore)は1968年、交通事故で代わりのメンバーを必要としたベルファストのアマチュア・グループ、ザ・メソッドのギタリストになりダブリンへ。数カ所のギグをこなしている間にダブリンのビートニク・シンガー、ブラッシュ・シールズに誘われスキッド・ロウへ加入。当時のメンバーはブラッシュ、ノエル・ブリッヂマン、フィル・ライノット、そしてムーア。
1969年、スキッド・ロウ、アイルランドのソング・ラベルからフィル・ライノットをヴォーカルに据えたシングル"New Places, Old Faces"/"Misdemeanour Dream Felicity"でレコーディング・デビュー。ムーアが作曲した"Misdemeanour Dream Felicity"が彼のキャリアにおいて最初のシングルとなる。
1971年夏、34時間でレコーディングされたセカンド・アルバム『34 Hours』リリース。ヨーロッパへのツアー、3作目のアルバムを録音後、同年秋スキッド・ロウを脱退。
1972年ロンドンにてザ・ゲイリー・ムーア・バンドThe Gary Moore Bandを結成、1973年5月初のリーダー・アルバム『グライディング・ストーン』をCBSからリリースするがセールスには乏しく自然消滅。
1974年、シン・リジィのフィル・ライノットに誘われてグループに一時加入。グループのデッカ・レーベルでの最終シングル"Little Darlin/Sitamoia"のレコーディングを残す。在籍中のライブでは既にグループの次作"Night Life"への曲"Still in Love With You","Showdown","It's Only Money"などを演奏している。ちなみにシン・リジーが新たに契約したヴァーティゴ・レーベルのアルバム"Night Life"では"Still in Love With You"1曲のみゲストギタリストとしてクレッジットされている。
同年、コロシアムのドラム奏者ジョン・ハイズマンとともに新たなるバンドを組むべく人選をして、ドン・エイリー、ニール・マーレイ、ジョン・モールらとともにジャズ・ロック・バンドコロシアムIIで活動し、1976年から1977年にかけて三枚のアルバムを残す。
1977年、ブライアン・ロバートソンが個人的な問題で参加できなかった為、シン・リジィとクイーンとのアメリカ・ツアーに代役として同行、翌1978年にシン・リジィに正式加入。コロシアムIIに在籍のままソロ名義でMCAと契約して初のソロ名義作品『Back on The Streets』の製作に着手/発表する。自作のインストゥルメンタル曲の他、フィル・リノットとの共作曲を収録。ピーター・グリーンから譲り受けたギブソン・レスポールによる『パリの散歩道』"Parisienne Walkways"は彼のギター・バラーディアの地位を確立された名曲である。
1979年、シン・リジィ、グループとしての最高傑作と言われている『ブラック・ローズ』をリリース。8月のUSツアー途中で脱走、LAにて元ディープ・パープルのグレン・ヒューズとハング・アウト、シン・リジィのサポートをも務めたマーク・ノーシーフらとともにデモンストレィション・テープの制作にかかる。
グレン・ヒューズとのグループは頓挫したものの元CBSのディレクター、ドン・アーデン(シャロン・オズボーンの父親)が立ち上げたレーベル、ジェット・レコードと契約。「スーパー・ギターリストの新しいグループ」名目のもとに新たなグループG-Forceを結成。メンバーはノーシーフの他、アラン・ホールズワースの在籍したトニー・ウィリアムスのニュー・ライフ・タイムのベーシスト、トニー・ニュートン、そしてシンガーのウィリー・ディ。
1980年、UKにてアルバム『G-Force』をリリース。UK国内にてデヴィッド・カヴァーディルのホワイトスネイクのサポート・アクトを務める。アルバムではLA風のメタルサウンドを狙った割にUS国内での配給先が見つからず、この一枚でG-Forceは解散。予定していたレディング・フェスティバル出演をキャンセルしたためムーアとJETレコードとの間に違約問題が生じる。顧問弁護士をつけて『Corridors Of Power』の発売にこぎつけるまでの間活動を制限されること余儀なくされる。
1982年、かねてからハード・ロック・マーケットに興味を持っていたサー・リチャード・ブランソンのヴァージン・レコードの協力もあり、短期裁判でアーディンとの契約破棄問題を多額の支払いにて解消。4年越しのレディング・フェスティヴァルに初登場、同年末『Corridors Of Power』をリリース。このアルバムは日本のマーケットでは前代未聞のヒットを記録となる。
1983年、1月に初来日公演。即日チケットは完売し、追加日程も組み込まれた。来日メンバーはイアン・ペイス、ニール・マーレイ、ドン・エイリー、ジョン・スローマンという豪華な顔ぶれで、一部ファンの間ではコロシアムIIIとも(ギャラの高い)エクスペンシヴ・バンドともよばれていた。プロモーションとしてテレビ朝日の人気音楽番組、『ベストヒットUSA』に出演、シンコー・ミュージックから『100% Gary Moore』なる特集/スコア本が発刊された。
1984年、前年よりソングライターのニール・カーターとの共同作業を開始して制作された『Victims Of The Future』はヴァージン・レコードのインプリント・レーベル10 Recordsからリリースされた。
同年、ニック・カーショウなどポップ・ミュージックも手がけるプロデューサー、ピーター・コリンズを起用してリミックス・シングルでリリースした『Empty Room(カーターとの共著)』がUKでヒットする。7月のアメリカ・ツアー終了後クレィグ・グルヴァーを解雇。8月のフェスティヴァルでのギグからはボブ・ディズリーBob Daisleyがベーシストとして参加している。
1985年、フィル・ライノットとの共作シングルGary Moore/Phil lynott/"OUT IN THE FIELDS"をリリース,二人による競演は評判を呼びUk国内でスマッシュ・ヒット。シングル第2弾として再録によるEmpty Rooms / Out of My Systemを発表。 9月にはグレン・ヒューズとの共作などバラエティに富んだアルバム『Run For Cover』をリリース。同月からのハマースミス・オデオン等数公演でライノットがスペシャル・ゲストで参加。メンバーはニール・カーター、ボブ・ディズリーにガリー・ファーグソンGary Fergusonで10月に来日公演。( 同年VIRGINの日本で配給先の東芝EMI契約の歌手浜田麻里が ムーア作の"LOVE LOVE LOVE"(レコーディングのギターは後のB'zの松本孝弘が演奏している)を録音しているが、本人の了承なしに起用されたものと語っている。)
1986年にも当時アイドルから脱皮をはかろうとしていた本田美奈子に楽曲提供("the Cross -愛の十字架-")(東芝EMI)した。日本ではムーア自身による原曲『クライイング・イン・ザ・シャドウ/ワンス・イン・ア・ライフタイム』EPでリリースされている。1986年1月フィル・ライノット死去。
1987年には故郷のアイルランドを主題としたアルバム『Wild Frontier』をリリースし、ヨーロッパでヒットを記録する。このアルバムは前年亡くなった盟友フィリップ・ライノットの捧げられた。7月に来日公演。来日時にはプロモーションの一環としてフジテレビジョンの音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演した。
1988年初頭、前作の路線を核とした新しいアルバムのレコーディングを始める。オジー・オズボーン、サイモン・フィリップス、コージー・パウエルらが参加した『After The War』は1989年にリリース。ムーア=パウエルとの共演に古くからのファンは来日公演を望んだが、リハーサル段階で頓挫。5月にドラマーにクリス・スレイドを据えて来日公演。これ以降日本でのライブは行われていない(本人曰く「日本へは自分のバンドで行きたい」)。
1990年3月、ブルース・アルバム『Still Got The Blues』をリリース。親交のあったジョージ・ハリスンの他、アメリカのブルース・ギターの名手アルバート・キング、アルバート・コリンズらがゲスト参加している。当初は軽い気持ちで企画されたものだったがアメリカで200万枚を超えるヒットを記録。(全世界で300万枚)以後ブルース路線へと切り替える。
1992年、多額の制作費を得て『After Hours』リリース。アルバート・コリンズ、B.B.キングがゲスト参加。同年4月ジョージ・ハリソンのロンドン・ロイヤル・アルバート・ホール公演のサポートを担当。ミッドナイト・ブルース・バンドはUS、EUなどでプロモーション・ツアー。ミック・ジャガーとも共演する。1993年6月、After Hoursのツアーを記録した『Blues Alive』そして映像作品の『Live Blues』を発表した。

同年ジャック・ブルースとの共演後、11月ドイツ、ケルンにてジャック・ブルースのバースデイ・コンサートに参加。元クリームのメンバーであるブルース、ジンジャー・ベイカーと共演をきっかけに1994年、ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、ムーアでBBMを結成(バンド名はメンバーの頭文字から取られた)。アルバム『アラウンド・ネクスト・ドリーム〜白日夢 - Around The Next Dream』をリリース。ライブを数回行った後ベイカーがグループを離れる。その後レベル42などで活躍したゲイリー・ハズバンドを迎え入れ、トリオの演奏は完璧なものとなる。同年、そのトリオで録音した新曲『ワン・デイ - One Day』を含む初の公認ベスト・アルバム『ベスト・オブ・ゲイリー・ムーア〜バラッズ・アンド・ブルーズ〜 - Ballads&Blues 1982-1994』をリリース。
1995年、ピーター・グリーンに捧げた『Blues For Greeny』をリリース。ピーター・グリーンの活動再開のきっかけともなるロンドンでアルバムリリース記念ライブが行われた。(この様子は1996年に"BLUES FOR GREENY LIVE"(VHS)としてリリース。)この年ミッドナイト・ブルース・バンドを解散する。
1997年、『Dark Days In Paradise』リリース。ドラムンベースなどを導入しテクノ音楽との融合を試みるスタイルがファンの間で物議をかもした。本作から次作にかけて自己のギターとモダーン・ミュージック(ダンス・ミュージック)の融合を計るアプローチや、デジタル録音機材の使用などが際立ち、ブルース・ギターリスト=古典派のイメージを払拭する。virgin Recordsとの契約を終結。
1999年、UKキャッスル・コミュニケーション傘下のRaw Powerと契約。『A Different Beat』リリース。ファットボーイ・スリム(ノーマン・クック)にインスパイアされたビッグ・ビートを導入。ヘンドリックスのカバー、"Fire"に挑む。
2001年3月、『Back To The Blues』リリース。4月から数ヶ月英国、欧州のコンサートを行う。レコーディング・メンバー、ピート・ルイスPete Rees (ベース)、ダーレン・ムーニーDarrin Mooney、ヴィク・マーティンVic Martin (キーボード)がバンドのメンバーになり、基本的にこのメンバーがその後の主要のメンバーとなる。
2002年9月、『SCARS』リリース。SCARSとしてトリオ編成のバンド結成。メンバーはドラマーのダーレン・ムーニーDarren Mooneyと元スカンク・アナンシーSkunk Anansieのベーシスト、キャス・ルイスCass Richard Lewis。10月、ZZトップのサポート・アクトとしてEUでのツアー、翌2003年5月、モンスターズ・オブ・ロックUKツアー2003に参加。(メインアクトはホワイトスネイク)。ツアー後半怪我を理由にキャンセル。7月頃、SCARS活動停止する。
2004年6月、再びリーダー名義によるソロ作品『Power Of Blues』リリース、旧知のボブ・デイズリーとのバンドとごく数回のギグとフェスティヴァルに出演するのみで欧州のフェスティヴァルはほぼキャンセルされた。
2006年4月、B.B.KingのファイナルUK・ツアーをサポート。同月リズム・アンド・ブルース、ブルー・アイド・ソウル的な作品『Old New Ballads Blues』をリリースし、数年ぶりのプロモーション・コンサート・ツアーをおこなった。
2007年前年後半に共演したコロラド出身の黒人音楽家オーティス・ティラーの作品"Definition of a Circle"に参加し積極的な活動時期に入る。まず2月、国営のサテライト・ラジオの番組"Blues Power, with Gary Moore" で司会進行役を務め、4月、メモリアルな北アイルランドでの2ギグ。5月、キャリアーとして25作目にあたる『Close As You Get』をリリース。レコーディング、ツアーにも参加した元THIN LIZZYのドラマーであるブライアン・ダウニーが参加してヨーロッパツアーを行った。
2008年7月7日、モントルー・ジャズ・フェスティバルにてジョン・メイオール & ブルースブレイカーズのステージにゲスト出演した。この模様はBSジャパンで放映された。
2008年9月最新作『Bad For You Baby』をリリースした。(Wikipediaより引用)


本作は1982年発表。
ゲイリー・ムーアのソロ・デビュー作にして、文句なしの代表作(彼のヘタクソなボーカルが気になりますが・・)でしょう。「Don't Take Me For A Loser」「End Of The World」他、荒削りで装飾が少ない分、ハード・ロックの持つ荒々しさ、生々しさが伝わってくるようです。楽曲のムラが気になりますが、彼のアルバムはどれも捨て曲が多いので、ソコはスルーしておきます。個人的には、素朴でストレートなハード・ロックなら”本作”、メロディアスでキャッチーな”Run For Cover”、アイリッシュな”Wild Frontier”という感じです。
「Always Gonna Love You」はHM/HR史に残る名バラード。それにしても「Always Gonna Love You」といい、「Falling In Love With You」といい、ゲイリー・ムーアって、あんな岩みたいな顔してこんなロマンチックな曲書くんだもんなぁ。。
洋楽/男性VO/HM・HR

Gary Moore
ゲイリー・ムーア(アイルランド)
Victims Of The Future

本作は1984年発表。前作のストレートなHM/HR路線を踏襲。ハイ・テンポな曲はあまりありませんが、重量感のある、よりスケール感の強いアルバムに仕上がっています。ゲイリー・ムーアのヘタなボーカルも慣れてくると味でしょう(頼むから実力のあるボーカリスト入れてくれ)。
ちなみに私はアナログ盤で本作を聴いていたのですが、CDになって曲順が変わっているので驚きました。アナログ盤の曲順の方が明らかに自然でイイ。改悪された曲順以外は、前作”Corridors Of Power”にヒケをとらない、内容の濃い素晴らしい作品だと思います。
洋楽/男性VO/HM・HR

Gary Moore
ゲイリー・ムーア(アイルランド)
Run For Cover

本作は1985年発表。
伊藤正則に失敗作と言われたり、なにかと評判の悪いアルバムです。全体的に軽めで、HM/HRの持つ独特の緊張感、重量感、スケール感は希薄。従来のファンからすると、ちょっととっつきにくい内容ですが、そんなにヒドくはないと思います。楽曲も粒が揃っていて、彼のアルバムにしては捨て曲がなく、なかなかキャッチーでメロディの充実した作品。フィル・リノットと競演した名曲「Out in the Fields」、グレン・ヒューズがボーカルをとった「Nothing To Loose」「All Messed Up」、リメイクされた「Empty Rooms」他、以外と聴き所の多いアルバムなんですが。。
洋楽/男性VO/HM・HR

Gary Moore
ゲイリー・ムーア(アイルランド)
Wild Frontier

本作は1987年発表。アイルランド紛争にインスパイヤされて制作されたアルバムだそうで、全編アイリッシュ・ハードロック路線。コンセプト・アルバムのような緻密な作りになっており、母国への強い想いがうかがえます。
音作りに関しては、打ち込みのドラムやプログラミングを多用したモダンな作り。私は”Corridors Of Power”のような、もっとオーソドックスなHM/HR路線を期待していたので、ちょっと肩すかしをくらいましたが、スケールの大きい「Over The Hills And Far Away」、哀愁タップリの「The Loner(インスト)」「Johnny Boy」他、楽曲の充実した(歌謡曲のような曲もありますが・・)聴き応えタップリの名作に仕上がっています。曲順にも熟慮されたアルバム構成なので、脈略のないオマケのボーナス・トラックがちょっとウザイですね。
今作以降、ゲイリー・ムーアはイメチェンし、他のトコに行きだすので、私は今作でゲイリー離れしました。

これらの音源は、「八百屋さんの居酒屋やすい」で視聴できます。
http://www.kuromon-yasui.jp/izakaya.htm
オーディオシステムに関しましてはコチラ             
http://www.kuromon-yasui.jp/ordeo.htm