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GLAY
REVIEW〜BEST OF GLAY
概要

1988年にTERU・TAKUROを中心に結成。その後、JIRO・HISASHIを加え、1994年5月25日にメジャーデビュー。1995年、「Yes, Summerdays」が注目を受け、1996年に「グロリアス」がヒット。その後、2ndアルバム『BEAT out!』がオリコン初登場1位を獲得。以降、「BELOVED」「口唇」「HOWEVER」などがヒット。1997年に発売のベスト・アルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』が、当時の歴代アルバムセールス1位の約488万枚を記録し、1998年から1999年までのベスト・アルバムブームのきっかけとなった。

それ以後も、1998年に同時リリースされた「誘惑」「SOUL LOVE」など、ヒット曲を連発。「サバイバル」が、歴代ビデオシングル1位を記録。1999年3月には、東京ドームで5日間のライブを決行。同年7月31日、幕張メッセ屋外有料駐車場で『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO'99 SURVIVAL』を行い、2010年現在日本最多、有料ライブに限れば世界最多の約20万人を動員した。12月には「Winter,again」で、第41回日本レコード大賞を受賞(後に、レコード大賞受賞を巡り、解散の危機になっていたことが明らかになった)。また、同じEXTASY RECORDSからCDをリリースしたLUNA SEAと、1999年12月に、東京ドームで対バンを行った。この1998年から2000年は、ビジュアル系ロックバンド全盛期と呼ばれ、L'Arc〜en〜Cielと共に、当時の音楽界を牽引していった。GLAYは、自らヴィジュアル系を名乗るなど肯定的な姿勢を示していた(現在のGLAYについては、ヴィジュアル系ではないとする見方が強い)。

2002年、日中国交正常化30周年を記念して、北京にて『GLAY ONE LOVE in 北京』を決行。中国最高指導者江沢民への表敬訪問を実現した。2004年7月31日に、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにて、GLAYデビュー10周年を記念し、約10万人を動員した『GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN "THE FRUSTRATED"』を決行。

2005年には、GLAY×EXILE名義で「SCREAM」を発売。この時期には、GLAYが事務所から独立を試みたこともあり、単独の活動は行っていない。

2006年2月の『GLAY in BUDOKAN 2006 ROCK'N'ROLL SWINDLE』、7月の『G4』発売を区切りに、独立以降、半休止状態となっていた活動を再開。氷室京介とのコラボレート・シングル「ANSWER」を発売し、8月5日・6日には、氷室と『KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM "SWING ADDICTION"』を決行。

2008年には『GLAY VERB TOUR 2008 in U.S』と題し、GLAY初のアメリカでの3公演を決行した。

2009年にはデビュー15周年を迎え、3月には通算40枚目となるシングル「SAY YOUR DREAM」を、デビューからちょうど15年後の5月25日には通算41枚目となる「I am xxx」を、さらに6月と10月には、9年ぶりとなるベスト・アルバム『THE GREAT VACATION VOL.1 ?SUPER BEST OF GLAY? 』『THE GREAT VACATION VOL.2 ?SUPER BEST OF GLAY?』を発売した。ライブもTHE GREAT VACATIONの名の元に、4月にはメンバープロデュースライブ、6月には日本丸メモリアルパークでのフリーライブ、6月から7月にかけてホールツアー、8月には2日間で総員14万人を動員した日産スタジアムライブ、9月には2度目のアメリカ公演、11月から12月にかけてはカウントダウンライブを含むアリーナツアーと、多彩な活動を行った。

2010年秋には通算10枚目となるオリジナルアルバムの発売が予定されている。

2010年現在、シングルでは「口唇」「HOWEVER」「誘惑」「SOUL LOVE」「BE WITH YOU」「Winter,again」「ここではない、どこかへ」「とまどい/SPECIAL THANKS」の8作品が、アルバムでは『BELOVED』『REVIEW-BEST OF GLAY』『pure soul』『HEAVY GAUGE』『DRIVE-GLAY complete BEST』の5作品がミリオンセールを記録している。(文化庁所管の日本レコード協会調べ)

メンバー

TERU
ボーカル担当。GLAY結成時からのメンバー。ライブではアコースティック・ギターやブルースハープを演奏することもある。結成当初のパートはドラムであったこともあり、TERU作詞作曲の「Little Lovebirds」では、ドラムを演奏している。GLAYのフロントマンとして、ライブでのMCのほとんどを担当している。
TAKURO
ギター担当。GLAY結成時からのリーダー。リズムギターを担っていることが多いが、ギターソロを演奏することもあり(「春を愛する人」、「SOUL LOVE」、「Winter,again」など)、「彼女の“Modern…”」のギターソロなどではHISASHIとのツインギターも聴くことが出来る。曲によっては、ピアノを弾くこともある。GLAYのほとんどの楽曲、特にシングルA面曲は、2009年現在まで全て、TAKUROが作詞作曲を行っている。ライブではコーラスを担当することも多く、また「君が見つめた海」の一部ではボーカルを担当し、「おまえと供にある」ではTAKUROがメインボーカルを担当した。
ライブの定位置は、ステージ上手。
HISASHI
ギター担当。リードギターを担っていることが多く、ギターソロやギターリフの多くは、HISASHIによるものである。「嫉妬」では、テルミンも演奏している。インストゥルメンタル曲やライブでのSEのほとんどの作曲とプログラミングを行っている。TAKURO・JIROよりは少ないものの、ライブではコーラスも担当する。ライブの定位置は、ステージ下手。
JIRO
ベース担当。現メンバーの中で唯一上京後にGLAYに加入。TAKUROと並んで、ライブではコーラスを担当する。また、JIROが作曲した楽曲では、一部ボーカルを担当しているものもある。「ストロベリーシェイク」では、メインボーカルを担当した。ライブの定位置は、HISASHIとTERUの間。
青森県弘前市で生まれ、小学生時代に函館の学校へ転校したHISASHI以外は北海道函館市の出身である。また、JIRO以外の3人は学年が等しく、JIROは1学年下である。

メンバー同士非常に仲が良く、それぞれの誕生パーティーを行ったり、4人でスノーボードやコンサートなどに出掛けたりするほどである。

旧メンバー

ISO
ドラムス担当。1992年に在籍。
SHINGO
ドラムス、ベース担当。1990年から1992年まで在籍。
AKIRA
ドラムス担当。1992年5月から1994年1月まで在籍。メジャーデビュー直前に脱退。「RAIN」「真夏の扉」「Life 〜遠い空の下で〜」と『灰とダイヤモンド』の全曲においてAKIRAがドラムスを担当した音源が残っている。
NOBUMASA
ドラムス担当。1994年11月から1995年4月まで在籍。当初はサポートメンバーとして参加したが後に正式加入、間もなく事務所の意向で脱退させられる。以降ドラムスの正式メンバーは加入させることはなく、永井利光(TOSHI)をサポートメンバーとして迎えている。音源としてNOBUMASAがドラムスを担当したものは残っていない。

バンド名の由来

造語。音楽ジャンルが黒(ロック)でもなければ白(ポップ)でもないという意味である。ビートルズがバンド名を造語にしたことに因み、TAKUROがGRAY(英語。"灰色"の意)の"R"を"L"とした。また函館の冬空の色(灰色)にもかけている。また、灰色には不純なイメージがあると思われるからともいわれる。

しかし、2010年5月25日のデビュー記念日に放送された、日本テレビ系のDON!にて、「名前の由来は?」との質問に、TAKUROは「前は、黒でもなければ白でもない・・・と言っていたが、実際は響きですね。」と語っている。

単なるスペルミスだったと語る同級生の記事がフライデーに掲載されたことがある。
BOOWYの様に、誰でも知っている英単語をわざとスペルを変えて名乗るのがカッコイイとして、Lにしたと語っていた事もある。

プロデューサー・サポートメンバー


佐久間正英
シングル「彼女の“Modern…”」以後から2010年現在までプロデュース。レコーディングではストリングスアレンジやプログラミングを担当、自らギターやピアノも演奏する。また、サポートメンバーとしてライブにも出演しキーボード(稀にギターも)を演奏する。GLAY EXPOには過去3回とも出演している。また自身がプロデュースを手がけたバンドによるフェス「SAKUMA SUMMIT」も過去2回開催(GLAYは2回とも出演)。ちなみに「SAKUMA SUMMIT」の発案者はTAKURO。

YOSHIKI
デビュー曲「RAIN」をプロデュース。同曲のピアノを演奏。GLAYの可能性を見抜いたHIDEのアドバイスもあり、自レーベルよりデビューさせた。

土屋昌巳
「真夏の扉」をプロデュース。2001年のGLAY EXPO 2001九州公演にはThe d.e.pのメンバーとして同じステージに立ち、最後の曲「I'm In Love」にコーラスで参加。なお、セックス・ピストルズで音楽に開眼した土屋は、ロックバンドに「やんちゃ」な部分を求める傾向がある。そのような土屋は、「真夏の扉」レコーディング時に、真面目で礼儀正しく、破壊的な部分が皆無なメンバーの態度に「手に負えない部分が無いとは、僕の手に負えない。」と以降のプロデュースを断念したというエピソードがある。


音楽性

メンバー共通して好きなバンドに、B'zやレッド・ウォーリアーズなどがあり、特に1980年代(メンバーが学生の頃)に活躍したBOOWYの影響を最も強く受けていて、デビュー当時からハードロックとバラードの両方をこなしている。

しかし、2000年代以降はストリングス、ラップ、ダンス・ミュージック、フラメンコなどのロック以外のサウンドも用いるようになり、音楽性の幅を広げつつある。

また、GLAYの音楽性については、メンバー4人の音楽性がそれぞれ異なっていることも特徴の1つである。

TAKURO
影響を受けたアーティストに、ビートルズや尾崎豊、ブライアン・アダムスを挙げていて、アコースティックな嗜好が強い。その音楽性は、アルバム『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』にて顕著に表れている。
GLAYの楽曲のほぼすべての作詞・作曲を手掛けているだけあって、作風は幅広い。作曲については、「誘惑」のようなスピードチューンや「LOVE SLAVE」のようなパンクチューンから、「ずっと2人で…」のようなバラードまでをこなす。また、「口唇」「誘惑」「SPECIAL THANKS」のような、転調を用いる曲が多いのも特徴の一つである。歌詞に関しても、「HOWEVER」のような恋人間のラブソングに留まらず、「I'm in Love」のように家族愛を歌った曲から、「-VENUS」のような政治・社会を風刺した曲や「CHIDREN IN THE WAR」といった反戦歌も手がけている。

TERU
好きなアーティストには、上記の他にU2などを挙げていて、メンバーの中で最もBOOWYの影響を強く受けている。本人も尊敬する人は誰か、という質問に「氷室さん」と答えており、TERUのマイクの握り方は、氷室京介と似ている。
作曲する曲は「週末のBaby Talk」のような16ビートの曲を得意としていたが、近年は「RainbirD」のような「セツナ系」の曲も作っている。

JIRO
好きなアーティストには、上記の他にレッド・ホット・チリ・ペッパーズとレディオヘッド、ニルヴァーナ、the pillowsを挙げている。メンバーの中で嗜好が最もポップだと評されることが多い(「天使のわけまえ」PVでも、その傾向が見られる)。
「BUGS IN MY HEAD」のようなパンクチューンや「SHUTTER SPEEDSのテーマ」のようにライブの定番曲となって非常に盛り上がるスピードチューンを作ることが多いが、「Good Bye Bye Sunday」のようなアコースティックチューンも手掛けている。作詞は近年TAKUROに任せることが多い。自身がプロデュースしたライヴGLAY Acoustic Live in 日本武道館 produced by JIROでは全曲をアコースティックアレンジしたアンプラグドライヴを披露した。

HISASHI
好きなアーティストには、上記の他にセックス・ピストルズとオフスプリングを挙げている。メンバーの中で最もパンクの嗜好が強く、同じギタリストでもTAKUROとは正反対。Talboを使用しているのは有頂天の影響である。
作曲する曲には「Surf Rider」のように、打ち込みを多用した曲が多いが、「1988」のようなパンクチューンも作っている。「Surf Rider」においてはLeetを用いている。ライヴではエフェクターやテルミンを多用することで知られている。
JIROと異なり作詞も自分で行うが、その内容は難解なものが多く、「WORLD'S END」の解説についても、「深読みされると困る」と述べている(英語と発音が似た日本語を当てはめただけだから)。

メジャーデビューまでの足跡

1988年函館で結成される。TERUとTAKUROはこのときから在籍(TERUは結成当時はドラムス)。後にHISASHIが加入する。

1990年3月に高校時代最後のライブを行う。結成時からいたベースとドラムスが卒業する。同年4月より拠点を東京に移す。11月には「いかすバンド天国」に事務所の肝いりで出場。しかし、デビューならず。当時はワンコーラスも歌えず、すぐ不合格になった。その理由は「もう少し毒があると思っていた。」、「同じメロディーの繰り返しでつまらない。」と酷評の嵐。

1991-1992年自主制作のカセットテープを3本発表、瞬く間に完売。

1992年5月、AKIRAが加入。それに伴いISOが脱退。同年9月 SHINGOが脱退し、後にJIROが加入。ほぼメジャーデビュー前のGLAYに。

1993年10月のライブ会場にYOSHIKIが訪れ、スカウトされる。同日、EXTASY RECORDSと契約。

1994年1月、アルバム『灰とダイヤモンド』のレコーディング終了。この頃にAKIRAが脱退。後にNOBUMASAが加入するが当初はサポートメンバーとしてであった。同年2月1日 目黒鹿鳴館で初のワンマンライブを行う。チケットはSOLD OUT。同年の2月-3月 ロサンゼルスのONE ON ONE RECORDING STUDIOにてYOSHIKIプロデュースの下、「RAIN」のレコーディングを行う。同年4月25日 デビュー前に目黒鹿鳴館にて2daysライブを行う。チケットはSOLD OUTとなる。

メジャーデビュー以降の活動

1990年代
1994年、デビューシングル「RAIN」の他、2nd-3rdシングル「真夏の扉」「彼女の“Modern…”」、インディーズアルバム『灰とダイヤモンド』をリリース。ライブもSHIBUYA ON AIR WESTでのデビューライブ『HAPPY SWING』の他、全国ツアー『灰とダイヤモンドTOUR』、3大都市ツアー『THE SPEED POP LIVE '94 』などを行った。シングル1作目・2作目はタイアップを得たものの、3作目はタイアップが得られず初動はわずか7000枚に留まるなど、無名バンドの一つという様相であった。なお、「彼女の“Modern…”」より佐久間正英と共同作業を行っており、年末にはNOBUMASAがメンバーとして加入した。

1995年、4th-7thシングル「Freeze My Love」「ずっと2人で…/GONE WITH THE WIND」「Yes, Summerdays」「生きてく強さ」、1stアルバム『SPEED POP』、『VIDEO GLAY』をリリース。「Yes, Summerdays」は初のCMソング(カメリアダイヤモンド)となり、また『SPEED POP』はオリコンアルバムチャート最高8位と、ブレイクへ向け大きく踏み出した一年であった。ライブも全国ツアー『SPEED POP GIG '95』などを行う。このツアーより脱退したNOBUMASAに代わり、TOSHI NAGAIがサポートメンバーとして参加することになった。

1996年、8th-10thシングル「グロリアス」(『BEAT out!』の先行シングル)「BELOVED」「a Boy〜ずっと忘れない〜」(『BELOVED』の先行シングル)、2nd-3rdアルバム『BEAT out!』『BELOVED』、2ndビデオクリップコレクション『VIDEO GLAY 2』をリリース。「グロリアス」はスマッシュヒットとなり、GLAY初のオリコンシングルチャートトップ10(4位)を記録、また2作のアルバムはいずれもオリコンアルバムチャート最高1位を記録するなど、GLAYにとってブレイクの1年となった。公式ファンクラブ『HAPPY SWING』が設立されたのもこの年である。ライブは全国ホールツアー『BEAT out ! '96』『BEAT out ! reprise』『GLAY TOUR '96〜'97 "BELOVED YOU"』を行い、『BEAT out ! reprise』の千秋楽では初の武道館ライブも決行した。

1997年、11th-12thシングル「口唇」「HOWEVER」、ベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』をリリース。「口唇」はGLAY初のオリコンシングルチャート最高1位、またオリコン集計では惜しくも届かなかったミリオンセラーを「HOWEVER」で達成。『REVIEW-BEST OF GLAY』は480万枚を売上げ、堂々の年間アルバムチャート1位に輝き、当時のアルバム売上最高枚数を更新、ベストアルバムブームを引き起こした。これらに加え、「HOWEVER」でNHK紅白歌合戦に初出場するなど、GLAYが一躍時代の寵児となった一年である。ライブは前年からの『GLAY TOUR '96?'97 "BELOVED YOU"』および追加公演『"BELOVED YOU ENCORE"』に引き続き、全国アリーナツアー『GLAY ARENA TOUR '97〜HIT THE WORLD〜』などを決行。LIVE & DOCUMENTARY ビデオ『無限のd?j? vu DOCUMENT of "BEAT out!" TOURS』『無限のd〜j〜 vu DOCUMENT of“BEAT out!”TOURS 海賊版』(前年の『BEAT out ! '96』および『BEAT out ! reprise』の模様を収録)、LIVEビデオ『HIT THE WORLD GLAY Arena Tour '97 at Yoyogidaiichitaiikukan』をリリース。

1998年、13th-15thシングル「誘惑」「SOUL LOVE」(この2枚は同時発売)「BE WITH YOU」、4thアルバム『pure soul』、3rdビデオクリップコレクション『VIDEO GLAY 3』、サウンドトラック『GLAY SONG BOOK ?TBS系金曜ドラマ「略奪愛・アブない女」オリジナル・サウンドトラック』をリリース。前年からのGLAY熱は留まるところを知らず、3枚のシングルとアルバムは全てミリオンセラー。ライブは全国46か所53公演の長期ホールツアー『 TDK presents GLAY TOUR '98 pure soul』(なお、この公演中HISASHIが脚を骨折、いくつかの公演が順延となっている)や全国7か所13公演のスタジアムツアー『pure soul in STADIUM "SUMMER of '98"』を行う(この公演をもってサポートメンバーのD.I.Eが脱退)など、その規模も大きくなった。ライブビデオは『“pure soul”TOUR '98』(ホールツアーを収録)『“SUMMER of '98”pure soul in STADIUM』(スタジアムツアーを収録)をリリース。

1999年、デビュー5周年を迎え、16th-17thシングル「Winter,again」「ここではない、どこかへ」、5thアルバム『HEAVY GAUGE』、1stビデオシングル「サバイバル」をリリース。「サバイバル」は2010年現在日本のビデオ・DVDシングルの歴代売上第1位であり、「Winter,again」は164万枚を売上げ、2010年現在GLAYのシングルの中で最も売れたものとなった。「Winter,again」の初動売上は2010年現在歴代4位であり、この曲でGLAYは第41回日本レコード大賞を受賞した。ライブは東京ドーム5公演を含む初のドームツアー『GLAY DOME TOUR "pure soul" 1999』に加え、幕張メッセ駐車場・特設ステージにて、2010年現在国内単独ライブとしては最高の観客動員数20万人を誇る『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO '99 SURVIVAL』を決行。その他にもメンバープロデュースライブやLUNA SEAとの対バン『The Millennium Eve A Christmas present for the people who love live a lot.』、カウントダウンライブ『GLAY LIVE in MESSE "COME TOGETHER"』を行い、ライブビデオ『DOME TOUR pure soul 1999 LIVE IN BIG EGG』をリリースした。一方、ここまで出世街道をひた走ってきた外部からの印象とは裏腹に、「自分たちの手を離れて大きくなりすぎたGLAY」にメンバーが戸惑いを覚え始めたのもこの時期である。事実、「EXPO '99」を終えてメンバーは目標を見失った節があり、『HEAVY GAUGE』は内省的な曲が並び、全体を通して重苦しい雰囲気が漂うアルバムは『BEAT out!』から『pure soul』とは対照的なものであった。そして極めつけに、レコード大賞の受賞を巡ってメンバー間で論争となり、レコード大賞を受賞してそのまま解散というストーリーが一度決定されていた。

2000年代

2000年、18th-21stシングル「HAPPINESS -WINTER MIX-」(『HEAVY GAUGE』からのリカット)「MERMAID」「とまどい/SPECIAL THANKS」「Missing You」(『DRIVE-GLAY complete BEST』の先行シングル)、ベストアルバム『DRIVE-GLAY complete BEST』、4thビデオクリップコレクション『VIDEO GLAY 4』、サウンドトラック『映画版「未来日記」オリジナル・サウンドトラック』、ライブビデオ&DVD『GLAY EXPO '99 SURVIVAL LIVE IN MAKUHARI』をリリース。ライブは前半全国11か所40公演、後半全国12か所37公演の長期アリーナツアー『J-PHONE presents GLAY ARENA TOUR 2000 "HEAVY GAUGE"』を行う。前年末の解散騒動は、年が明けると同時に立ち消えになったが、『J-PHONE presents GLAY ARENA TOUR 2000 "HEAVY GAUGE"』の最中に今度はJIROが脱退の危機に陥る。GLAYが解散の危機に陥ったのは後にも先にもこの2回だけであり、以後はメンバーが「続けることが大事」といった旨を度々口にするようになる。

2001年、22nd-24thシングル「GLOBAL COMMUNICATION」「STAY TUNED」「ひとひらの自由」、6thアルバム『ONE LOVE』、ベストビデオクリップコレクション『GLAY BEST VIDEO CLIPS 1994-1998』をリリース。ライブは全国3か所4公演の『GLAY EXPO 2001 "GLOBAL COMMUNICATION"』を決行、東京公演では東京スタジアムのライブこけら落とし、九州公演ではアジア各国からゲストを招いてのオールナイトライブを行ったのに加え、札幌ドームでのカウントダウンを含む全国ドームツアー『GLAY DOME TOUR 2001-2002 "ONE LOVE"』なども行った。90年代のGLAY熱は収束をみせ、独自のスタイルでの活動へと方向性を定め始めたのがこの時期である。

2002年、25th-27thシングル「Way of Difference」「またここであいましょう」「逢いたい気持ち」、7thアルバム『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』、5thビデオクリップコレクション『VIDEO GLAY 5』、Flow of Soulシリーズアルバム『Flow of Soul vol.1 ?TAKURO meets Vanessa-Mae?』をリリース。ライブは前年からの『GLAY DOME TOUR 2001-2002 "ONE LOVE"』や東北地区ホールツアー『GLAY TOUR 2002 Special Extra Package "ONE LOVE"』に加え、『JAL Presents 日中国交正常化三十周年特別記念コンサート?GLAY ONE LOVE in 北京』などを行う。これに伴い、当時の中国最高指導者江沢民主席への表敬訪問を実現した。LIVEビデオ&DVD『GLAY EXPO 2001 GLOBAL COMMUNICATION LIVE IN HOKKAIDO SPECIAL EDITION』『GLAY EXPO 2001 GLOBAL COMMUNICATION LIVE IN HOKKAIDO』『GLAY DOME TOUR 2001-2002 ONE LOVE』、LIVE & DOCUMENTARYビデオ&DVD『日中国交正常化三十周年特別記念コンサート GLAY ONE LOVE in 北京 LIVE&DOCUMENT』をリリース。

2003年、28thシングル「BEAUTIFUL DREAMER/STREET LIFE」、1st DVDシングル「いつか」、ベストアルバム『rare collectives vol.1』『rare collectives vol.2』をリリース。長期アリーナツアー『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2003』を行い、ライブビデオ&DVD『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS 2003』をリリース。

2004年、デビュー10周年を迎え、29th-32ndシングル「時の雫」「天使のわけまえ/ピーク果てしなく ソウル限りなく」(各地域版8種類も発売)「Blue Jean」「ホワイトロード」、8thアルバム『THE FRUSTRATED』をリリース。ライブでは全国ホールツアー『GLAY CONCERT TOUR 2004 X-RATED』、ユニバーサルスタジオジャパンにての『GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN "THE FRUSTRATED"』、全国アリーナツアー『GLAY ARENA TOUR 2004 "THE FRUSTRATED -extreme-"』、ファンクラブ会員限定カウントダウンライブ『COUNTDOWN LIVE in MESSE COME TOGETHER』など多彩な活動を見せ、LIVE & DOCUMENTARY DVD『The Complete of THE FRUSTRATED-RECORDING DOCUMENTARY&LIVE-』(『GLAY CONCERT TOUR 2004 X-RATED』の模様を収録)、LIVE DVD『LOVES & THANKS ?波動する心音?GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN“THE FRUSTRATED”』をリリース。また、過去のライブ映像もLIVE DVD『GLAY Acoustic Live in 日本武道館 produced by JIRO』『GLAY ARENA TOUR 2000“HEAVY GAUGE”in SAITAMA SUPER ARENA』、『GLAY EXPO 2001“GLOBAL COMMUNICATION”in TOKYO STADIUM』『LIVE DVD BOX vol.1(includes LIVE DVD 3 Titles & GLAY Perfect Data 1994-2004)』を同時発売。

2005年、ベストアルバム『-Ballad Best Singles- WHITE ROAD』、ライブDVD『10th Anniversary Year Final GLAY DOME TOUR 2005“WHITE ROAD”in TOKYO DOME』、GLAY×EXILEとしてコラボレーションシングル「SCREAM」をリリース。1月には『THE FRUSTRATED -extreme- NIIGATA SPECIAL』を行う(16日:NIIGATA LOTS、17日:新潟県民会館)。当時、新潟県中越地震の直後だったが、被災地のファンに向けてライブを開催。その後、全国ドームツアー『10th Anniversary Year Final GLAY DOME TOUR 2005 "WHITE ROAD"』などを開催。ドームツアー後事務所を独立したなどの経緯があり、表向きの活動は全般的に少ない一年であった。事務所独立はダメージも非常に大きかったようだが、解散を選ぶというようなことには一切ならず、メンバーやスタッフが一丸となってまた活動ができるように尽力したという。当初、大阪でのライブは、ドームツアーとして大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)で開催予定だった。しかし、2001年12月の「ONE LOVE」大阪ドームライヴで、ドームの構造及び地盤の関係で震度3?4相当の振動が起こり、周辺住民の苦情が200件以上殺到した。このドーム周辺の振動問題に決着がつかなかったため、特別編としてインテックス大阪での4日間の公演となる。ドームツアーとは異なる演出で、オープニング映像は過去のライヴのものを日替わりで使い、またメンバーそれぞれが選んだカバー曲を披露するなど、『10th Anniversary Year Final GLAY OSAKA 4 DAYS SPECIAL 2005 "WHITE ROAD"』のタイトル通り「大阪スペシャル」なライヴになった。年末には『white band FES.』へ参加、『EXILE LIVE TOUR 2005 "PERFECT LIVE〜ASIA〜"』にアンコールに飛び入り参加し「SCREAM」をライブ初披露。

2006年、前年の事務所独立もあって、直前にスタッフが総入れ替えになるという事態もあった中、武道館ライブ『GLAY IN BUDOKAN 2006 ROCK'N'ROLL SWINDLE』を決行。その後33rd-34thシングル「G4」「夏音/変な夢 ?THOUSAND DREAMS?」をリリース、全国ホールツアー『GLAY TOUR 2006 ROCK'N'ROLL SWINDLE 〜Re-birth〜』(このツアーから永井誠一郎がサポートに加わった)を開催して復活を遂げる。また、氷室京介とのコラボレート・シングル「ANSWER」を発売、ジョイントコンサート『KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM "SWING ADDICTION"』も開催、『THE 夢人島 Fes. 2006』に参加もするなど、幅広いアーティストとの交流も行った。

2007年、35th-37thシングル「100万回のKISS」(『LOVE IS BEAUTIFUL』の先行シングル)「鼓動」「Ashes.EP」、9thアルバム『LOVE IS BEAUTIFUL』、6thビデオクリップコレクション『VIDEO GLAY 6』をリリース。ライブは全国アリーナツアー『GLAY ARENA TOUR 2007 LOVE IS BEAUTIFUL』、全国ホールツアー『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2007-2008』を開催、LIVE DVD『GLAY ARENA TOUR 2007“LOVE IS BEAUTIFUL”-COMPLETE EDITION-』をリリース。

2008年、38th-39thシングル「VERB」「紅と黒のMATADORA/I LOVE YOUをさがしてる」、デジタルシングル「SORRY LOVE (HIGHCOMMUNICATIONS 2007-2008 Live Ver.)」をリリース。ライブは前年からのホールツアー『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2007-2008』および追加公演となるアリーナツアーに加え、初のアメリカ公演『GLAY VERB TOUR 2008 in U.S.』やカウントダウンライブ『GLAY VERB TOUR FINAL “COME TOGETHER 2008-2009”』を行った。

2009年、デビュー15周年を迎え、40th-41stシングル「SAY YOUR DREAM」「I am xxx」、ベストアルバム『THE GREAT VACATION VOL.1 ?SUPER BEST OF GLAY?』『THE GREAT VACATION VOL.2 ?SUPER BEST OF GLAY?』をリリース。ライブもメンバープロデュースライブ、全国ホールツアー『GLAY Hall Tour 2009 THE GREAT VACATION』、日産スタジアムにての1日目はROCK、2日目はLOVEと題した2公演『GLAY 15th Anniversary Special Live 2009 THE GREAT VACATION in NISSAN STADIUM』、アメリカ公演『GLAY U.S.TOUR 2009 THE GREAT VACATION』、カウントダウンも含む全国アリーナツアー『GLAY ARENA TOUR 2009 THE GREAT VACATION』など、ライブを中心に精力的に活動した。

2010年代
2010年、デジタルシングル「LET ME BE Live Ver. 2009-2010 at makuhari messe」「Apologize」(無料配信)、ライブDVD『GLAY 15th Anniversary Special Live 2009 THE GREAT VACATION in NISSAN STADIUM』をリリース。ライブは全国ホール・アリーナツアー『ROCK AROUND THE WORLD GLAY LIVE TOUR 2010-2011』を開催。前々からの独立志向が高じ、自主レーベル『loversoul music & associates』を設立する。
(Wikipediaより引用)
GLAY
DRIVE 〜GLAY complete BEST〜

これらの音源は、「八百屋さんの居酒屋やすい」で視聴できます。
http://www.kuromon-yasui.jp/izakaya.htm
オーディオシステムに関しましてはコチラ             
http://www.kuromon-yasui.jp/ordeo.htm