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洋楽/男性VO/HM・HR

Blue Oyster Cult
ブルー・オイスター・カルト(アメリカ)
Club Ninja
10作目
ブルー・オイスター・カルトは1967年に結成され、ヘヴィメタルの源流の一つになったバンドであると考えられている。代表曲に「(Don't Fear) The Reaper」「Burnin' for You」「Godzilla」がある。

1967年、ニューヨーク市のロングアイランドで結成される。結成当初のバンド名は「Soft White Underbelly」であった。その歴史の最初期からサンディ・パールマンという人物がマネージメントを担当し、ライブのブッキングやレコード契約を速やかにまとめて彼らを表舞台に送り出したのであるが、バンドに与えたパールマンの影響はそれに留まらない。詩人でもあった彼は自作の詩をバンドのオリジナル曲の歌詞の素材として提供し、バンドが生み出した世界観にも決定的な影響を与えたのだった。
1968年、エレクトラ・レコード向けにバンドはアルバムを制作するが、エレクトラの反応は悪く、アルバムの発売は中止される。一方バンドはシンガーを交替させ、エリック・ブルームを迎え入れる。
1969年、バンドはフィルモア・イーストの舞台に立つが、ステージの評判は今ひとつであった。パールマンはバンド名の変更を決定。「オアハカ」「ストーク・フォレスト・グループ」など短期間にバンド名を入れ替える。結局バンド名が「ブルー・オイスター・カルト」に落ち着いたのは翌年のことであった。この間バンドはまたいくつかの楽曲をレコーディングしているが、エレクトラはサンプル盤としてシングルを300枚プレスしたに留まった。
1972年、バンドはアルバム『Blue Oyster Cult』でデビュー。変形十字のシンボルマークもこの時から使用が開始されている。アルバムはヒットし、バンドはバーズやアリス・クーパー、マハヴィシュヌ・オーケストラらと盛んにツアーを行って知名度を上げていく。
1973年、アルバム『Tyranny and Mutation』発表。所属していたコロムビア・レーベルは彼らをアメリカ版ブラック・サバスとして売り出そうと試みるも、さほどの売れ方はしなかった。
1974年、アルバム『Secret Treaties』発表。
1975年、ライブ・アルバム『On your feet or on your knees』発表。
1976年、アルバム『Agents of Fortune』発表。シングル「(Don't Fear) The Reaper」が全米12位まで上昇し、アルバムはゴールド・ディスクを獲得する。1980年代のハード・ロック・ブーム以前にこの数字を出したハード・ロック・バンドはさほど多くない。バンドはレーザー・システムを導入した派手なコンサートでも注目を浴びる。
1977年、アルバム『Spectres』発表。ゴジラをテーマにしたシングル「Godzilla」が、日本語ナレーションを挿入したこともあり、ハード・ロック通の間でネタとして大評判になるも、前作ほどの成功は収められなかった。
1978年、ライブ・アルバム『Some Enchanted Evening』発表。プラチナ・アルバム獲得。

1979年、バンドはそれまでの全てのアルバムをプロデュースしていたサンディ・パールマンに代わり、トム・ワーマンを迎えてアルバム『Mirrors』を制作する。しかし完成したアルバムは重さに欠けるとして大不評を買う。
1980年、マーティン・バーチをプロデューサーに起用してアルバム『Cultosaurus Erectus』を制作。マーティン・バーチの起用は、当時ブラック・サバスのマネージメントをも請け負っていたサンディ・パールマンの引きによるものであった。つまりパールマンはブラック・サバスの「ヘヴン・アンド・ヘル」のサウンドをブルー・オイスター・カルトに持ち込もうとしたのである。この試みは一定の成果を挙げ、アルバムはイギリスでヒットする。
1981年、再びマーティン・バーチをプロデューサーとしてアルバム『Fire of Unknown Origin』を発表。「Burnin' for you」が全米トップ40入りするヒットとなる。この曲は当初バック・ダーマのソロ・プロジェクト用に書かれたものであった(ブルー・オイスター・カルトには合わないと判断された)が、パールマンの指示でアルバムに収録されることとなった。
1982年、ライブ・アルバム『Extraterrestrial Live』を発表。アルバート・ブーチャードがドラムを叩いているのは2曲だけで、残りはリック・ダウニーのプレイである。ダウニーはその後正式なドラマーとしてバンドに加入。この頃アルバート・ブーチャードは、1960年代にサンディ・パールマンが作った企画「Imaginos」の実現に取り組んでいた。
1983年、アルバム『The Revolution by Night』発表。プロデューサーはブルース・フェアバーン。バンドはアルバムの出来に満足していたが、セールス的には前作に届かなかった。このアルバムに伴うツアーを終えてリック・ダウニーは脱退。
1985年、バンドは2週間の西海岸ツアーをブッキングされるがドラマーは不在のままだった。急遽アルバート・ブーチャードを呼び戻してツアーは行われたが、ツアー終了とともにアルバート・ブーチャードは再び離脱。続いてキーボーディストのアラン・レイニアも脱退してしまう。
1986年、レーベルとの契約上バンドは仕方なくアルバム『Club Ninja』を制作。ドラマーはジミー・ウィルコックス。キーボーディストはトミー・ズヴォンチェク。しかしこのアルバムは現在、バンドからもファンからもその存在を無かったことにされている。1987年、ジョー・ブーチャードも脱退。バンドは空中分解する。
1988年、アルバム『Imaginos』を発表。
このアルバムの企画は、サンディ・パールマンが、ブルー・オイスター・カルトが結成される前に考えていた。そのコンセプトはラヴクラフトのクトゥルフ神話をベースにしている。
ドラマーのアルバート・ブーチャードが、このコンセプトに基づき、曲を書き始めた。これらの曲の一部、「Astronomy」と「Subhuman」はアルバム『Secret Treaties』に収録された。アルバート・ブーチャードは、その後も曲を書き続け、バンドを脱退した1982年にこの作業に本格的に取り組み、レコーディングを行った。しかし、コロンビア・レコードは、アルバート・ブーチャードのソロ・アルバムとしては、この企画に興味を示さなかったため、サンディ・パールマンは、エリック・ブルームとバック・ダーマによる新たなボーカルと演奏を加え、ブルー・オイスター・カルトのアルバムとしてレコーディングし、発表された。コンセプト・アルバムとして高い評価を得たものの売り上げは芳しくなく、バンドはコロンビア・レコードのプロモーションがない状態でツアーせざるを得なかった。コロンビア・レコードがソニーに売却される際、バンドは契約を失った。(Wikipediaより引用)


私がブルー・オイスター・カルトを初めて聴いたのはこのアルバムです。後に、このアルバムが、バンドからもファンからもその存在を無かったことにされている事を知ってちょっとショックでしたが、はっきりいって、作品自体はいたってまともな内容です。特に、「Dancin' in the Ruins」「Perfect Water」あたりなんかはかなりの美旋律で、ELOをハードにしたようなスペイシーなメロディアス・ハード路線がたまりません。私のように、バンドになんの思いいれもない人間にはかなり楽しめる内容です。
しかし、このアルバム・タイトルとジャッケットはひどいな・・・。

これらの音源は、「八百屋さんの居酒屋やすい」で視聴できます。
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