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洋楽/男性VO/HM・HR

Anthrax
アンスラックス(アメリカ)
Sound Of White Noise
7作目
バンドは1982年、ニューヨークにて結成。当時のメンバーは、現在も在籍するスコット・イアン(ギター)、チャーリー・ベナンテ(ドラムス)、ダン・スピッツ(リードギター)の他、ニール・タービン(ヴォーカル)、そしてダン・リルカ(ベース)。このダン・リルカは、脱退後にニューヨーク・ハードコア・パンクの中心人物としてニュークリア・アソルト、ブルータル・トゥルース、S.O.D.などに参加する人物でもある。なお、彼らはまだ高校を卒業したばかりであった。
バンド名であるアンスラックスは炭疽菌を意味するが、これは、メンバーが高校時代に受講した衛生学の講義に由来すると言う。
1983年、アルバム『フィストフル・オブ・メタル』でデビュー。当時の音楽性は、他のメタル・バンドと同様、英国におけるNWOBHMの流行をアメリカ風味の味付けで解釈した類のものであったが、やがて、ニューヨーク・パンクの雰囲気を持ち込むことにより独自の音楽性を獲得し、注目される存在となる。と思ったのもつかの間、ニール・タービンとの確執によってダン・リルカが脱退。さらに、歌唱力にやや難のあったニールも解雇される。この後、まず、バンドのローディを務めていたフランク・ベロが後任ベーシストとして加入する(フランク・ベロがローディとして同行していたのはこの交代を見越したことであったとする説もある)。そして、問題のヴォーカルには実力派ジョーイ・ベラドナが加入し、バンドを大きくステップアップさせることになる。
新ヴォーカルのジョーイは、豊かな歌声と正確な音感に裏付けられた優れた歌唱力の持ち主であったが、それだけが彼の持ち味ではなかった。アメリカ先住民(いわゆるインディアン)の血統に連なるジョーイは、ステージ上でもインディアンの衣装や飾りを着用するなど強烈なアイデンティティを見せつけ、バンドのフロントマンとしての評判を高めていった。バンド全体としても、この時期、その音楽にファンクやインディアンのビートを取り入れるなどして新しいスタイルの構築に成功した。これにより、バンドは、後に登場するミクスチャー・ロックの先駆的な役割を果たすことになる(ただし、この言葉は当時まだ存在していなかった)。この頃に発表された名盤『アマング・ザ・リヴィング』、『ステイト・オブ・ユーフォリア』は、単に名曲の揃ったアルバムではない。ヘヴィメタルがその音楽性を際限なく広げる契機をもたらした重要なアルバムである。1991年にはヒップホップグループの雄パブリック・エナミーとの協演も果たした。音楽性の土壌を十分に理解できなかった日本のメタルファンの間にはこの協演に対する批判の声もあったが、この協演は、彼ららしい視野の広さを象徴していると言えよう。
しかし、1992年にジョーイが脱退。友好的な脱退とする報道がある一方、ジョーイの内向的な性格に問題があったとも言われている。後任にはアーマード・セイントのヴォーカルを務めていたジョン・ブッシュが加入する。アーマード・セイントは正統派ヘヴィメタルバンドであり、前任のジョーイと比べるとジョンのヴォーカルもストレートでいっかにもヘヴィメタルらしいモノであった。しかし、皮肉なことに時代は、彼らがその先鞭をつけたオルタナティブ・ミュージックへと移行し始める。彼らの音楽性は時代に翻弄されていくことになった。ジョン加入後最初のアルバム『サウンド・オブ・ホワイトノイズ』は彼らが持っていた攻撃性とモダン・ヘヴィネスを融合させた作品で、ビルボードのアルバムチャート7位という最大のヒットとなるものの、1990年代中期以降はメジャーレーベルが彼らとの契約を切り、バンドは地道な活動に終始せざるを得なくなる。この間にダン・スピッツが脱退(脱退後は音楽界を離れ、スイスに渡り時計職人に転身した。当時の事について彼は所有していたギターを全部手放すほど「音楽から遠ざかりたくなった」と語っている)。後にロブ・カッジアーノが加入するまで4人編成となった時期もある。
2005年、ジョーイとダンが復帰。1980年代後期のラインナップで活動を再開。メンバーの恒久性は定かではないものの、往時のヘヴィメタル・バンドたちが多く再結成し、かつての良き時代を再現しようという流れの中、彼らもその期待に応えてくれるだろうと期待された。
2006年10月14日、日本のヘヴィメタルフェスティバル「LOUD PARK 06」に出演。だが、直後にジョーイが脱退。そして音楽界に復帰したダンが再びバンドを離れてしまう事態を迎える。
2007年6月、スリップノット/ストーン・サワーのシンガー、コリィ・テイラーが、現在ANTHRAXと曲を作っていると明かす。但し、後に双方のスケジュールが多忙(スリップノット・アンスラックス共に世界中をツアーで回っているという状況だった為)なのを理由に、実質的な凍結状態だと明かしている。
2008年、新ボーカリストとしてダン・ネルソン(ex.Disciplineなど)が加入し、ロブ・カッジアーノも復帰。一夜限りの来日公演も開催された。
2009年、7月にダン・ネルソンが脱退。バンド側はダンの病気を理由のひとつに挙げているが、本人はこれを否定している。これにより秋に予定されていたニューアルバム『Worship Music』の発売は延期となった。

彼らはスラッシュメタルバンドとして紹介されたが、結果的にこれは誤訳(あるいは売り出し時の策略)であったと言わざるをえない。彼らのベースには他のバンド同様、英国のNWOBHMの影響があったと思われるが(ツインリードの多用など)、ここにスピードを組み合わせたのはメタリカなどのアメリカ西海岸出身のバンドとは全く異なり、ニューヨーク・ハードコア・パンクの影響、もしくはこれらに参加していた関係であった(パンク・アーティストであるビリー・ミラノを中心としたプロジェクトS.O.D.にはダン・リルカのみならず他のメンバーも参加していて、とくにスコット・イアンは発案者とも言える)。
これに加えて、インディアンのビートやメロディ・ラインを効果的に取り入れたり(「Indian」なる名曲もある)、ファンクのグルーブ感を取り入れたりと、その実験的ともいえるどん欲さは他に類を見ない。あくまでヘヴィメタルの枠を守っていたことから、ブームの終焉の影響を彼らも被ったわけだが、レコード会社が思慮深くさえあれば、彼らこそが後のミクスチャー・ロック、オルタナティブ・ミュージックを誰よりも早くやっていたことがもっと紹介されていただろう。(Wikipediaより引用)

本作は1993年発表。
スラッシュ離れしたということで賛否両論を呼んだアルバム(というか、古くからのファンからは酷評された)ですが、結果的にはバンド最大のヒット作となった作品。スラッシュメタル好きの方にはお勧めできませんが、ジャンル分けにこだわらなければなかなか充実した内容で、いいアルバムだと思います。もっともこのバンドは早くからヒップホップやハード・コア、ラップ等、他のジャンルの音楽を取り込んだミクスチャー(当時はミクスチャーなんてジャンルなかった)っぽい音作りをしていたので、スラッシュメタルバンドと呼ぶ方が不適切だったのかもしれません。歌メロ中心の曲構成は聞きやく、ミドルテンポのグルーヴィーなリズムは普通のロック・ファンでも楽しめそう。疾走系の曲は少ないのですが、ヘビネスや独特のストリート感覚は失っていないと思います。名曲「Only」は純粋にかっこいいです。

これらの音源は、「八百屋さんの居酒屋やすい」で視聴できます。
http://www.kuromon-yasui.jp/izakaya.htm
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